例のMVの「コメント欄」を見て思ったこと

例のMVは『コロンブス』でございます。
何のことか分からない方は、調べてまでこのブログを読まなくてよいでしょう。

このブログは、思ったことを書くだけで、MVとかの是非を説く内容は、ありません。


多分、皮肉とギャグだったのだろう

もちろんですけど、皮肉も冗談も、相手に伝わらないなら仕方がない。
それは「完成度の低い皮肉や冗談」ということになります。

まぁ、MVなんてのは「不特定多数に向けられた」ものなので、難しいです。とても。
「不特定多数に伝わるように」なんて無理だし、概念としてもよく分からない。

現実的には、「多数派に伝わるように」もとい、「伝わった層が多数派を占めるように」を目標とするだけであり、マイナス評価が皆無な公表物なんて、ビュー数が増えてきたらもう、あり得ません。

私は一度だけMVに目を通し、そのあと動画のコメント欄、そして公式Xアカウントのポスト、それへのリプライと引用リポストを見てみました。


Xの様子

「ツッコミどころ満載の、豪華でわちゃわちゃしたMV」、ファン層(の中でXをやっている層)には、そういう受け取られ方をしていた。そういう風に私は見受けました。
(まぁそう好意的に見たとしても、近年まれに見るブラック(悪りぃ笑い)だなぁと思う箇所はありました。)

「アウト」のラインは、実に人それぞれです。
「やっぱりあそこだけは」「(公開停止は)賢明」というような意見の方も見受けました。


動画のコメント欄

私が気になったことは、「自分(自身)が不快に思った・心を痛めた」という意見が、かなりスクロールしても全然 無いんですね。
(あったかもしれないけど、もう確認できないので、少なくとも「見当たらなかった」ということを、ここでは事実とさせて下さいませ。)

言うなれば、皆口々に「他人(外国の人)が怒る・気分を害する・傷つく・問題視する」、あるいは「(これを)観られたくない」という旨を、言っていたのです。

そういう意見もある、というだけなら普通だと思います。
そういう「意見」というか、そういう「表現法」ですかね。
でも「皆、それだけを言う」のって、どうなんですかね?

「想像以上に全編アウトだった」
「国際問題になる」
「ポリコレとかいうレベルじゃない」
「無知では済まされない」
「レイシスト」
「ナチュラルサイコ」など、
制作陣の学や品性を疑う・という形式のコメントも多かったですが、それって「こんなものを世に出すのが信じられない」ということで、

やはり「私が(個人的に)観たくない」というよりも「人様に見せられない」なんですよね。

そればかりがズラ~っと並んでるのって、
「(私は良いけど)〇〇が許さない」というような意味合いを、仮にこれを見た外からの人に、そんな印象を発生させてしまいませんかね?

「(真意は違っても)伝わらなきゃ意味が無い」のは、これだって同じのはずです。


で、実際に憤慨している日本語以外のコメントなんて、少なくとも私は一つも見なかったんですよね。

勿論、あの映像を見たら、気分を害する人は相当数、居たでしょう。
それは、「一般的に問題の無いMVを見ても、傷つく人というものは一定数存在する」の程度よりかは、有意に多く。

「実際にそういう人が出てしまう前に火消しをした」と思えば良いのかもしれませんが、「実際の海外の反応」がどんなものか、確かめることもしてはいないわけで。(リークして今後 出るかもしれませんが)

「一体 誰のために日本人が騒いだの?」という印象も、私には残りました。

私がこう思う理由はありまして、件の曲が「Coke STUDIO」キャンペーンソングだったという事実です。本キャンペーンのために書き下した新曲だったそうですよ。

じゃあ多分、コカ・コーラ社はゴーサインを出したんです。いや分からんけどね??私は現場を肉眼で見てないもん。
「MVは好きにして」でチェックしてなかったとか、もしかしたらあるのかもしれん。分かりませんけども。


主語がでかいことって、ホントに言いたくないんだけれども

たまには必要悪よ。

日本人って、「タブー」が大好きですよね。
念のため、「タブー(禁忌)が大好き」、ではないです。タブーは大嫌いです。それがタブー視だから。

私は「あらゆる国民性は、個性の内・または一種として受け止め得る限りは個性」だと思うようにしていますが、正当化で済まないこともある。


こういう経験はありませんか?
経験は無かったとしても、あり得る話だと思うのですが、

「〇〇さんが傷つくだろ」と口々に皆が批判するも、当の本人が現れて「別に気にしないよ」と一言。

こうなった場合、本人の気持ちこそが正義と扱われるべき、はずですよね。
問題となるのは「〇〇さん本人が傷つくか否か」のはずですから、当人の感じ方が最優先であるべきだと思います。

これが、周りの意見が余りにも大勢過ぎて、当人の気持ちなど最早 尊重されなくなるような場面。私はしばしば見ているような気がします。
そうそれは楽曲の盗作疑惑…


今回の問題のケースでは、(少なくともコメント欄の皆の中では、)危惧されるのが主に「海外の反応」であったように思います。
(「制作陣の無知を嘆く」もあったが、それも前者ありきだよね?)

その危惧は、結果的には正しかったかもしれません。
(結果を見ることは、終ぞ無いかもしれませんが。)

しかしまぁ、一連の流れは「実際の・現実の海外の反応」というものを軽視した一面はあったと言えるのでは、と思います。
それがそうだとしたら、それは「悪い」とまで断じることができるかは不明ですが、反省してみるべき部分はあることです。

「「こんなの世界で大荒れするに決まってる」」
と大荒れする日本人の構図でした。

まぁ、実際の世界の評価を確かめてみてからでは遅かったのかもしれない。
本当に、面白いように最悪の展開になって、日本が宣戦布告されたりしたかも分かりませんよそりゃ。「何が起こらない」なんて誰にも分からないんだから。

ただやっぱり、疑問は残った。私が言いたいのはそれだけの感想です。



これは民族を限らず、ヒト全体の性質だと私は思っていますが、

「(ほとんどの)ヒトは、批判のためには論理を選ばない」。

結論が先なんです。その理屈付けは、後からテキトーに行います。
論理で導かれた結論ではないということは、主観的なもの。
つまり「お気持ち」です。

私が常々言っていることですが、「お気持ち表明は、お気持ち表明としての正当性・説得性を認められるべき」です。

「お気持ち < 論理的な批判」なんて構図は馬鹿げている。

よく便利に使われ過ぎているが、「あなたの感想ですよね」の元は、
「それ『明らか』じゃなくて、あなたの感想ですよね?」。
相手が「事実ベースで述べているかのように、所感を述べた」からツッコミとして動作しただけであり、
「感想には意味が無い」または「重要性が低い」などということではない

ましてや「感想に何でも理屈(っぽいもの)を添えれば、相手の感想よりも強くなる」なんてのは勘違いなので、やめて下さい。

「主観と主観以外を混同すること」が、話がこじれるから良くないんです。


コメント欄の人たちが本当に感じていたのは、「正に本人自身の不快感」でしかなかったのでは?

これはもう、私の霊感で読み取って・推測しているだけのことなので、「そうではない」という当人らのコメント待ちになりますが、
自分の感じた不快感を肯定(武装)するために、”他人の気持ち(あるいは国際的評価)” をダシにしたという一面は、無かったか?」と問いたい。

いや、正直そこまで興味は無いけれども…


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