道理の限界

あたりまえのようであたりまえでは無いこと――理屈の限界

一見道理のように見えてもよく考えるとおかしいことにきずく
ことがある。例えば、宇宙には、果てがあるか?などは代表的なたとい、例だろう。
経験上、始まりがあって終わりがある、のは理屈上、あたりまえ、という感じだ。
しかし、それは日常の経験からの常識だ、 だが、この場合は始まりも終わりも経験ないのだ、原因も結果も分からない未知の領域だ。始まりがあって終わりがなくてもおかしくはないのではないだろうか?そうした思考は経験上、ないので、あたりまえに 思ってしまう。つまり永遠という概念を、存在を認めるかどうか?である。これを解かりやすくイメージすれば、始めがあって終わりがないということはまた始めに戻ってくる、というイメージだろう。つまり円だ。なんかそんなことしか、思いつかないが、ひょとしたら宇宙が我々の思考に追いつかない あいまいさ に果てを茫洋としてしまうかもしれない。狐についまれた幻覚が現れるかもしれない、これが楽屋裏です!といったところか、考えすぎはやめよう、いや、妄想はやめよう。しかし、こうはいえる。始まりがあって終わりは未だない!と

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