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人文科学

語学大好き、物語大好き、哲学、歴史、文化人類学大好き。
人文学を誰よりも、こよなく、愛してきたと自負する私。

物理や数学も嫌いじゃないが、語学、哲学、文学以上の高揚感はない。いや、厳密に言うと、全て学問は連なりなので分ける必要はない。

ただ、中央政府の方から分けよう分けようとする空気を感じるから、それに対して逆張りしているだけなのだ。

本来なら、こんな議論はおかしなこと。文系・理系を分けるなんて滑稽極まりない。

ちょっと考えればおかしいことが、国の中枢で平然と行われていることが、本当に信じられない。

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稼げる大学を優遇する。

世界最高水準の研究成果が見込まれる大学を支援するために、10兆円規模の大学ファンド(基金)を設ける新しい法律「国際卓越研究大学法」が国会で成立し、いよいよ始動することになった。これは科学技術を「成長戦略の柱」とする岸田文雄政権の看板政策の一つで、世界でも珍しい、国が元手を貸す「官製ファンド」だ。うまくいけば、世界から評価されること間違いなし……らしい。

 この法律は、「国際的に卓越した研究の展開および経済社会に変化をもたらす研究成果の活用が相当程度見込まれる大学」を、文部科学省と政府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)で検討し、「国際卓越研究大学」として認定する。

 CSTIは岸田首相が議長を務め、6人の閣僚、および大企業の会長や役員、大学の教授など、計14人のメンバーで構成。認定には、「産学連携や寄付などで、年3%の事業成長」「重要事項を決定するための、学外者が多数を占める合議体の設置」などの条件があり、大学ファンドの運用は科学技術振興機構が行い、利益を「国際卓越研究大学」に認定された大学に2024年度から分配する予定だ。

15年には、既存の文学部や社会学部など人文社会系の学部と大学院の廃止や分野の転換を求め、L型だのG型だのに大学を分類することが検討され、「ニーズに合った知識」「ニーズに合った技術」「L型では学術研究を深めるのではなく、社会のニーズを見据えた職業教育を行う」というように、ニーズ、ニーズ、ニーズと言い続けてきた。グローバルで通用する高度なプロフェッショナル人材を養成する「G型大学」はごくごく少数の大学だけでいい、と。一部のできるヤツさえいればいいとばかりに、学問の場にトリクルダウン理論を適用した。

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次々に繰り出されるポケモンボールのように、日々、まぁ出てくる出てくる、「人文軽視」のモンスター思考が。ピカチュウ、出番だ!

人文科学というのは、社会の役に立たない、即戦力には、ならないと言われる。
機械を作れる訳ではなく、薬を調合できる訳でも、核ミサイルを開発も、新しいアプリを開発するコードを書ける訳でもなく、いわゆる、稼げる会社に入るのに少々難ありというのもあるし、国際的な信頼を得るのはやはり科学技術であり、株価にも影響するわ、軍事やエネルギーと言ったこととも親和性高いから、仕方ない。

人文科学
工学・応用科学
科学
社会科学
芸術

とざっくり分けても、なんだかハイ、見劣りする。※視覚芸術は、ちょっと地位が高い。

その噂の「人文科学」の中でも

言語学(きゃー!)
哲学(ぎゃあーー!)
民俗学(うぎゃああああー!)
歴史(ゔぎゃぎゃぎゃぎゃーー!)
文学(即死

…これらで、稼げる人は学者、ラッキーな人、または稼がなくてよい人、と言ったところか。

結構、覚悟のいる学びであります。

ケネディもオバマもサンデルも、理学、法学、政治哲学と、そっち方向。(サンデルはちと違う?)

人文学とは、「(精神的価値、歴史時間及び言語表現に関する)世界の知的領有」と「知識についてのメタ知識」である。 人文学は、「教養教育」、「社会的貢献」、「理論的統合」という3つの機能に立脚した学問である。
文科省のサイトに載っている定義。

とても大切な学問なんだけどな。と言うか、人を人たらしめる学問であり、人の歴史そのものなんだけどな。

これを疎かにすると、何度も同じ過ちを繰り返す。それこそ、無駄、なんだけどな。最近の中央政府が忌み嫌う「無駄」「効率悪い」なんだけどな。

公文書の取り扱い、事象の振り返りなし、反省なし、第三者機関なし、の現政府とその取り巻きたちの所作は、人文と真反対だと、日々感じる。

人文科学は、断続的な知識の積み重ねで、ワープはできないし、手も抜けない、地道な学問で、どちらかと言うとじっくり系で地味である。花形ではない。やり手が少なくなったらどうしよう?

思考の浅い人たちが、国会議事堂辺りにたんまり生息している。掃き溜めである。鶴を待つ。

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