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母との何気ないあの会話が

自身を支える大切なものを再確認し、自分のことを、まあまあいいところあるんだから心配しなくていいよと思える心境に至ったのには、しょうぶ学園の方々のnui project の作品との出会いのエピソードは外せません。私が初めてしょうぶ学園のnui project の作品を知ったのは、その作品が産み出されてからかなり経った2013年のことでした。当時の私は母となり、毎日の殆どを家事に費やしていました。それはもちろん子供と共に暮らす幸せな毎日でしたがそれでも許されることならば、夢を抱いて学び続けた、洋服に関わることを生業に働いていきたいと思い続けていました。現実は思うだけで何もできない、頭の中で考えてばかりいると、出来ることと、やりたいことのギャップや、やりたいと思うことに感じる無意味さの中でどうしたいのか、どうするべきなのかと悩むばかりで自分を見失ってしまいました。ファッションの世界でがむしゃらに生きてきた若き自分に今の自分は負けている、そんな風に今の自分を認められないでいたように思います。そんなある日、fbの知人の投稿でnui project の展覧会のことを知りました。写真を見て震えが来たのを覚えています。自分で見ても過去に自分の作った作品と何か似たものを感じました。これを観ることができたら、私は何かこれからの自分を見つけることが出来るんだろうか。等という、すがるような気持ちが確かにありました。会期はあと二日しかありませんでした。故郷の岐阜県での開催、これもなにかの縁かも知れない。なんて、何もかもを縁に結びつけて直ぐ翌日岐阜に行きました。せっかくなので岐阜で離れて暮らす母を誘って電車にタクシー、長野から日帰りで強硬なスケジュールで出掛けました。展示は緻密なテクニックを惜しみ無く注ぎ込んだ大作で溢れていて、心がつかまれる素晴らしい展覧会でした。観てとてもいい気持ちになれました。二人ですごいねすごいねと観てまわる中で母がポツリと、楽しそうにニコニコ笑いながら「あんたの昔作ったシャツとよう似とるね」と言いました。私も「本当にそうだね」と返して二人で笑いあい、「ほらこれもあれも似とるね」なんてはしゃぎながら楽しみました。結局その日にはこれからの自分のヒントなど見つけることは出来ませんでした。ただ展覧会は本当に素晴らしく母ととてもいい時を過ごせて心がいっぱいで長野に帰りました。あの日のことは今でも私の宝ものの想い出です。その後も私はウダウダ悩みながら今の自分は、なんて、嘆きながら、母業を優先に、それでも衣装の縫製や、オーダードレスのお仕事等自分のしたいと思う仕事を探しては、していました。母とのnui project の展覧会の時の話をいつアノニムギャラリーのオーナーさんにお話ししたか、その時は定かではありませんが、母が東濃弁で「あんたのむかーし作ったシャツとそっくりやね」って言ったんだよ。私もヌイプロジェクトの中に自分がいるーって思ったんだってお話ししたのは覚えています。そっくりで私は嬉しかったんだと。こんなに似た作品、しかも制作時期も同じ頃。そして私はその作品たちが大好きだと感じ、素晴らしいと感じた。間接的にだけれど久しぶりに自分を認めることができたような気がしたのだと。それはほんの雑談の一節で、時は流れたのですが、数年経った2017年の8月。茅野市のアノニムギャラリーにて、邂逅 nui project ×伊佐地桂子 展 を開催して頂いたのです。岐阜の県立美術館で観たnui project の作品と自分の過去の作品が一緒に展示されている。並んで一緒に。もう感動でした。忘れられない出来事です。あのとき展示して頂いたのは全て過去の作品でした。なので、名前も旧姓で出品させて頂きました。邂逅展を機に私はまた作品を作りたいと思うようになりました。いつかまたnui project の皆さんと今の自分の作品でお会いしたい、そう思ったのです。母とのあの時のあの会話が無かったら邂逅展もなく、今の私はどんな気持ちで何をしているんだろうと思います。あの時のあの会話に、そしてあの会話を心に留めて下さったアノニムギャラリーの赤松さんに感謝しています。

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