七月に読んだ本

※ネタバレを含みます。


岸辺露伴ルーヴルへ行く

まさかのフルカラーに驚いた。バンドデシネプロジェクトの依頼でフルカラーにしたものだと思っていたが、ウィキペディアには荒木先生がフルカラーという選択肢を採ったと書かれている。すさまじいバイタリティ。
これまで実写化された「岸辺露伴は動かない」はすべて先に漫画原作を読んでいた。しかし「ルーブルへ行く」だけは映画を先に見た。映画を見た直後に漫画の方を読んだので、展開のスピードが雑にも感じられたが漫画ならこのテンポ感だよな、とも思う。というか映画が丁寧すぎた。
そしてその雑さが呪いや運命、捕食してくる立場の生命体の恐ろしさや理不尽さに通じている。そういうものだから、という理由しかない暴力。それに立ち向かうのが「ジョジョ」であろう。また、奈々瀬の旧姓が「岸辺」であったのも、血によって宿命づけられたものを乗り越えていく「ジョジョ」らしくてよかった。
実写映画版だと奈々瀬への感情が恋だとは断定できなかったが、漫画では明確に「初恋」と書かれていて、そこにも驚いた。漫画に魂を売る前の、まだ人間らしい露伴だなと思っていたが原作では恋をしていたとは。ヘブンズドアーで奈々瀬が本になりかけた際も、あれは能力の発現ではなく意図して本にすることを止めた(止めた!?)のだった。これが原作を先に読んでいたら「あ~!ここね」となって原作以上の解釈をしなかっただろう。「後悔」はいつも先に立ってくれない。

おいしいごはんが食べられますように

読んでいてずっと苦しかった。『推し、燃ゆ』も読んでいて苦しかったし救いがなかったし、芥川賞はそういった作品が受賞するものなんだろうか。
タイトルにもあるように、食べることを軸に物語が展開していく。しかし主人公の二谷は食べることが好きではない。正確に言えば、美味しいものを食べなければいけないことに嫌悪感を覚えている。あくまで食べなければ死んでしまうからご飯を食べる、というスタンス。しかし、恋人の芦川は手の込んだ自炊をしたり自作のお菓子を職場の人間に配ったり、二谷の食と向き合う時間を増やしてくる。二谷はある日、芦川を嫌う押尾と一緒に酒を飲むことになり、そこで芦川にいじわるをする同盟を結ぶ。水面下で「おいしいごはん」を拒む二谷と芦川へのいじわる。竹を割ったようには生きられない人間の、苦しいものがずっとある。
小説ならではのテンポ感というのを久々に感じた。例えば、「芦川はこういう人間だ。だからベッドの上ではこうだ」という二文。漫画でこのテンポ感はないだろう。ページをまたぐか真っ白なコマを数個挟む必要がある。
そういう読みやすさがある一方で人称視点が統一されていない読みにくさもあった。二谷を中心に書かれているときは三人称視点だが、押尾が中心となると一人称視点で描かれる。押尾から二谷に移ったとき、これは二谷視点なのかその他の人の視点なのか純粋な(?)三人称視点なのかはっきりしない。
読み終わってみて、「おいしいごはんが食べられますように」は誰の台詞なのだろうと思う。「おいしいごはん」が嫌いなマイノリティへの、悪意のない呪い。

最高の快感に達する「スローセックス」の教科書

サブタイトルに「すべての女性が「感激する」理由85」とあるが本書で書かれていることは一つ。「女性を愛せ」ということだ。男性本位のセックスではなく女性本位のセックス。それが「最高の快感に達する」秘訣なのだという。おそらくターゲットとした読者が中年以上ないし男性本位のセックスをしている人なので、そうでない人にはとかく冗長な本だ。読みやすさのために章の中の小見出しを見開き一ページに収めているのだろうが、言っていることが前後でほとんどかわらないと感じることも多い。確かに骨の髄まで男性本位のセックスに冒されている人間にはこれくらい言葉を尽くさなくては変わらないのだが。そうでない人にとってはアダムタッチ以外読む必要のない本ではある。

ちょくちょく例えが下手な書き手だった。

従来のセックスで女性がイッたときの気持ちよさが「近所の公園の小山に登って、周りの風景を見回したときの気持ちよさ」くらいだとしたら、スローセックスで得られる快感のレベルは「富士山の頂上から眺めた景色」――これくらいの差があります。

はじめに

私は小山がある近所の公園を知らない。あるにはあるが公園と言われてパッと想像するようなところに小山があるだろうか。
逆に変に例えようとせず、実感に基づいて書かれた文章はよかった。

(愛撫の際に舌よりも指の方が器用という文脈で)
唇や舌よりも本当の意味でエロティックなのは「指」なのです。

2章 デキる男は”愛撫に始まり、愛撫に終わる”

(女性の満足度を高めるために愛撫が重要であると説いた上で)
「交接とは、ペニスを使った膣への愛撫である」

3章 相手を絶叫させたことがありますか?

この本でためになったのはこの二文だけだった。残りは200ページかけて「女性本位になれ、常識を捨てろ」と書いてあった。
実はこの本を買ったのは非常にビジネス書と同じにおいがしたからなのだが、このことについて書くと話がとっちらかる上に非常に長くなるので、後日興が乗ったときにでも書こうと思う。

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