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マックのポテトとモスのポテトから見る両者の哲学の違い

 値段とかを無視すると、マクドナルド(マック)のバーガーよりもモス(モスバーガー)のバーガーの方が好きという方は多い、というかその方が多数派だと思う。モスの方が価格が明らかに高いし、調理時間もかかっているので、当然と言えば当然である。

 そのような中でも、ポテトについてだけはマックの方が好き、という方は多い。筆者の周りでも聞いたことがあるし、知恵袋でもそのような意見は多い。

 何故、バーガーとポテトでこのような違いがでるのか? グレードの差があるにもかかわらず、マックのポテトにはどのような強みがあるというのか? この文章では、そのあたりを考察していきたい。

マックのポテト

 誤解を恐れずにいうと、マックのポテトとは、塩と油を運ぶ媒介 である。塩と油をミックスし、最後に食感をブレンドし、食事者の口腔を刺激することにより、快楽中枢を活性化させる。

 そのために、ポテトの芯は細く、場所によってはシナシナとなっている。このような物理的特性を持つからこそ、塩と油を渾然一体にさせるというミッションを効率的に達成することができる。そこでは、ジャガイモ本来の味とか、ホクホク感といったものはオミットされる。

 注釈しておくと、だからマックポテトは体に悪いとか底の浅い食べ物だ、という主張をしたい訳ではない。現代の「美味しい料理」は、いくら着飾っていようとも、この「塩と油の強制注入」という側面を持つことを避けられない。むしろ、マックポテトは、余計な言い訳をせずにそこに特化した潔い料理と言えるだろう。

注釈

モスのポテト

 それに対してモスのポテトはどうだろう。太い。ジャガイモ「それ自体」がある。その形からして、明らかに、ジャガイモだった頃の植物の形を残している。そしてホクホク感がある。

 ファストフード店で食事を済ませるという現代文明のミッションの中で、モスバーガーはポテトそれ自体のポテンシャルを信じている。我々が提供しているのは塩と油ではない、ジャガイモなのだ。そのような力強いメッセージを、この野太いポテトからは感じる。しかし、その素朴すぎるジャガイモ感は、時に食事者にとってノイズとなることもある。

モスの哲学

 マックのポテトでは、塩と油が媒介(ジャガイモのことである)によって「渾然一体」となっていると書いた。これはバーガーでも同じであり、バンズ、パティ、その他諸々は口の中で渾然一体となる。大体のバーガーでそういう設計になっている(たぶん)。

 しかし、モスは違う。モスの具は溶け合わない。モスの具は個を主張する。例えば、モスのトマトはマックに比べて明らかに分厚くて硬いし、モスチーズバーガーのチーズは溶けておらず真四角を保っているし、フィッシュバーガーのフィッシュフライは確かな容積と厚みを持っている。

 マックの料理は溶け合ってこそ真価を発揮するが、モスの料理は溶け合わないことに哲学があるのだ(たぶん)。



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