ファンタジーと、トリ

 意外と昔からファンタジーなお花畑頭をしていた。

 だからもちろん、どのポケモンを肩に乗せて冒険に出るか真剣に決めかねていたし、大好きなタマザラシが直径80㎝くらいだと知ったときはショックだった。ということで最終的にはプラスル、君に決めた。

 ポケモンはこの世にいないと小学生中学年にはさすがに悟っていたが、それでも非現実的なものは好きだった。小学5年生で初めてディズニーランドに行ったときにはひっくり返るほどの驚きがあった。人の多さには辟易していたが、屋内型ジェットコースタ―の「スペースマウンテン」に外で90分並び、やっとのことで施設の中に入るとそこはまるで世界が違った。空には一面の星があり全てがキラキラしていた。360°どこを眺めても飽きなかった。少しずつ進む列の中、上をずっと眺めていると家族に20mくらい置いて行かれていた。

 そのとき感じたディズニーの良い点のもうひとつ、それはハトがいないことだった。(この前ディズニーシーに行ったら全然いた。)ハトは個人的にはいけ好かない。首当たりの緑と紫のグラデーションなんかめちゃくちゃ嫌い。私の地元では毎朝「ホーホー、ホホー」と鳴き声が聞こえるのだが、その正体がハトだと知ったときはタマザラシの体重の5倍くらいショックだった。その鳴き声からハリー・ポッター的なものを想像していたのである。蓋を開ければ、ヘドウィグではなくハトであったのだ。私の中のホグワーツ城を崩したその罪は相当重い。

 ということで、ハトは憎き存在である。それに伴い、私の中である変化が生じてきた。鳥自体苦手になったのである。もうまとめて嫌い。スズメでさえちょっと苦手。鳥類、反対‼
 そんな感じで鳥類嫌いな思春期を過ごしたのだが、別に嫌いになりたくて嫌いになっているわけではない。そんなとき、とある期待できるイベントが起きた。大学1年生のとき、水族館に行くことになったのである。真逆だと思うがそこには鳥類の異端児がいるのだ。それは、ペンギン。そう、飛べない鳥、ペンギン。
 ペンギンは鳥であるが、なんかよちよち歩いていて可愛いイメージ。特にペンギンの赤ちゃんとか可愛い要素しかない。おまけに私は、ペンギンは実は脚の部分が長く、人間で言うと常に膝を曲げて歩いているという苦労人ならぬ苦労ペンギンエピソードまで知っていた。ペンギン、悪くない。愛せる自信しかない。
 私が愛する唯一の鳥類、ペンギンが待っているので当日はウキウキで水族館へ向かった。この水族館はペンギンだけでなく、可愛い動物がたくさんいた。ラッコ、可愛い。カワウソ、可愛い。カピバラ、思ったより大きくて怖い。が、まあ可愛いということにする。ここまで順調である。そして遂にペンギンと対峙した。

 そこにいるのは十数羽のペンギン。衝撃だった。

 ペンギンの姿を近くで見た瞬間、分かったのだ。
 ペンギンってめちゃくちゃ鳥。どこからどう見ても鳥。顔なんか鳥の要素しかない。嘴あるし。でもそれはそう。生物学では鳥類だし、私もそれを分かっていた。この件に関して、ペンギンは一切の罪はない。過度にペンギンに期待した私とペンギンを可愛いイメージでデフォルメ化した世間が悪いのだ。
 しかし、これで私の期待は砕かれ、鳥を好きになれないまま一生を過ごすことになりそうだ。

 強いて言うならば、私の好きな鳥はケンタッキーフライドチキンである。
 

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