アルモンデごはん 季節は移り命も巡る
暑さ寒さも彼岸まで。今年は夏が終わらないんじゃないかと不安になるほどに暑さが続いていたけれど、季節はなんとも律儀ですね。彼岸の入りとともに、慌てて秋がやってきました。朝晩の涼しさに身体も心もほっとしています。日本という土地に生まれ育ったからなのか、滞りなく季節が移り行くことに安心するみたい。お世話になっている農家さんも道の駅も、端境期に突入しています。大地では、夏から秋へと命のリレーが淡々と営まれているんですね。今年も変わらず。来年も変わらず。命が巡っていくことは当たり前じゃないけれど、変わらずにあって欲しいです。
<9月16日>
昨日、実家の帰りに大好きな道の駅に寄り、野菜をたくさん購入しました。売り場は端境期の訪れを感じるラインナップ。夏の葉物は茎が逞しくなり、実ものは皮が厚くなって、しっかり火を通して食べるのがよさそうです。植物は賢いから、自分の季節が終盤に近づくと、次の命に自らの命の全てを託す。花や実にエネルギーを送るために繊維は発達し、皮を厚く硬くして種を守る。命を繋ぐために生きてきたように。その強さと賢さ、尊敬しています。
<9月17日>
中秋の名月。働いている保育園のおやつもお月見団子。食と季節のつながりを感じられるっていいですね。子供たちはみたらし、先生方には黒蜜と胡麻をたっぷりかけて提供しました。少し残っていた黒砂糖を消費したくて思いつきで作ったのですが、先生たちがすごく喜んでくれたのが嬉しかったな。すっかり調子に乗って、家に着いてまたすぐ黒蜜作り。今年の我が家のお月見団子は、かぼちゃ団子に黒蜜黒胡麻のせでした。世界中の人たちが、お団子のようにまぁるく柔らかな心で健やかに過ごせますように。
<9月18日>
二八蕎麦。これも道の駅で購入したもの。お気に入りの道の駅でしか売っていない、ご贔屓のお蕎麦屋さんがあるんです。小さい頃から大の蕎麦好き。父の本家の叔母は蕎麦打ち名人で、遊びに行くたびに「ゆうこちゃんがくるから」と蕎麦をうってくれました。叔母の蕎麦は足踏み。今は亡き叔母にちゃんと教わっておけばよかったな。さて、この日はとろろ蕎麦。とろろと青のりの組み合わせは、私の定番です。めんつゆではなく白醤油(しろたまり)をまわしかけて食べるのも。ああ、蕎麦が好きだー。
<9月19日>
葉唐辛子の佃煮。大好物です。この時期しか出回らない、道の駅でしかおめにかかれない葉唐辛子。みつけたら絶対に買って、佃煮を作ります。柔らかな葉っぱは一度茹でこぼして刻み、青い唐辛子は種をって刻み少しだけ加えて、醤油と味醂で甘辛く煮詰めたら出来上がり。ごはんが何倍でも食べられてしまう、飯泥棒です。唐辛子に触れたことを忘れて、コンタクトを外してしまい悶絶する…という一連の流れを、今年も無事に終えました。学ばないなぁ。
<9月20日>
息をするように人と人とを繋ぐ人。繋がる場所へと手をひいてくれる人。私の周りにはそんな人が多いように思います。「あの人に紹介したい」「あの場所が好きになるとおもう」一歩間違えたら迷惑なことになりがちだし、どちらとの関係も気まずくなってしまうこと。でも私の周りの繋ぐ人は、その道のプロみたい。私に新たな友人と居場所をつくってくれるんです。この日もそうでした。彼女が紹介してくれたお店は必ずまた行く!と大はしゃぎしてしまうほど好みだったし、紹介してくれた人はその夜から何度もやりとりをしてしまうほど、共通点が多かった。繋ぐ人ってすごいな。
<9月21日>
冷蔵庫の整理を兼ねた、アルモンデプレート。1個残ってた茹で卵、1/3丁残っていた木綿豆腐、キムチ、茹でてあった三尺ささげで作ったピーナッツ醤油和え、昨日仕込んでおいた蒸し鶏肉にスイートチリソース、落として割れちゃったきゅうりを叩いた胡麻酢和え。昨日の残りのなすと生姜の味噌汁、白米。いつもの我が家のごはんです。写真を見るだけでほっとしちゃう、私のためのごはん。こんなご飯を食べて暮らせる私は幸せ者だな。
<9月22日>
貝好きな母のDNAをしっかり受け継いでいるようで、定期的に貝が食べたくてたまらなくなります。この夜はシンプルにあさりの酒蒸しを。にんにくをたっぷり、あさりと、刻んだ万願寺とうがらしもいれて、白ワインで蒸し煮しました。そろそろかなぁと鍋の蓋を開けたら、なんと貝の口が全部開いてる!いいことありそうです。私にとって酒蒸しの主役は、あさりの身ではなく汁。具材を全て食べ終えたら、旨味たっぷりな汁にご飯をいれて、染み込ませながら食べるのが好きなんです。行儀が悪いけど、美味しいお出汁を一滴も無駄にしたくない。よく言えば、これもあさりのリゾットですよね。
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