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どこかで疑ってもいたのです

自分のツイートがバズるなんて、思いもしなかったのです。

何個か売れたらいいなって、軽い気持ちの書き込みでまさかまさか翌週まる一週間、キャベツ祭りになるとは。。。
Twitterってすごい…という思いと、怖いという思いが半分こでした。
優しい言葉が届いた分だけ、冷ややかな言葉も投げ付けられるに違いないと決め込んでいました。

それが…

キャベツの数を上回るお問い合わせにお断りした方からも、寒い中引き取りに来てくださった方からも、届いたのは全て労いと励ましとお礼の言葉ばかり。
それどころか、お支払いと共に沢山の贈り物を頂いたり、おいしかったですと食卓の写真を送ってくださったりと、嬉しいお返しばかり。

あれ?

見知らぬ人たちから手渡された優しさを、素直に受け取って心から感謝すること。
当たり前にできるって思っていました。
でも…、どこかで疑っていました。
本当に全員が引き取りにきてくれるのかな?って。
油断してたら、否定的なリプライで傷つくんじゃないかって。

世の中善人ばかりじゃない、世の中そんなに甘くない、信じてガードを緩めた瞬間に切りつけられるに違いない。
最後のキャベツを手渡すまで、DMのやりとりが終わるまで、「ほらやっぱりね」という瞬間をある意味待ち構えていたんです。
想像上の悪意が目の前に現れるのを、待ち望んでいたのです。
ほらやっぱりねって言うことで、安心したかったなんて…。

でも。

見知らぬ誰かは優しさと思いやりで溢れていて、私だけがちっぽけで、誰よりも幸せな一週間を過ごしたのは私だったというのが実際のことでした。
キャベツを育てたおじいちゃんよりも、キャベツが売り切れた友人よりも、キャベツを買って食べてくれた方々よりも。
ただの仲介役だった私が一番、やさしさに包まれた一週間だったのでした。

それと同時に、自分自身の裏切りみたいなものに向き合う一週間でもありました。
困っている人に声をかけたり、頑張っている人を応援したり、相手の状況を想像して労いの言葉を渡したり。
自然にそれができる人でありたいと思っていたし、できるようになってきてるとも思っていました。
でも真っ向からそれを否定する視線で相手のことを見ていた私は、結局それらを心の底からやろうともしていなかったし、出来てもいなかったんだなって。

「自分まだまだよね」と気づかせてくれたキャベツよ、ありがとう。

行き場を失っていた200玉のキャベツは、全て皆様の食卓に引き取られて行きました。
畑で潰されて土に還るという運命から、誰かの命の一部になる道へと繋いでくれた皆様。
本当にありがとうございました。

裏切りを想像して自分を守るより、信じることで満たされる時間を過ごす方がずっといいね。





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