『死んだ山田と教室』推薦文と個人的なフェティシズムについて

『死んだ山田と教室』

【神奈川県の男子校・啓栄大学附属穂木高等学校(通称穂木高)2年E組でクラス一の人気者だった山田が交通事故で死んだ!
……はずだったが、クラスのスピーカーに声だけ憑依して生き返った!?
山田と2年E組のみんなの不思議な物語が開幕!】

……と誰もが3秒であおれるコンセプトがまず美しいです。

メフィスト賞受賞ということで間違いなくカテゴリはミステリーなのですが
「型破り、ラディカル、カウンター」というような形容が真っ先に思い浮かび、そして収斂する先はちゃんとミステリーなのです。

私の雑感は
・男子校通ってみたかったな〜
・出版社さんがくそほどお金をかけられていて映画かと舞台化まったなしだな〜
という感想でした。

前者に関しては、啓栄義塾大学附属穂木高等学校(通称穂木高)という、モデルが明らかな男子校が舞台なのですが、「自分は女子校出身だけど、男子校はこんなんなんだろうな」という空気感を感じさせるリアルなディティールと、
男子校、女子校ならではの青春と混沌とアホな雰囲気がなつかしくて、しみじみしました。
(共学アンチの回し者ではありません。)

後者は、お金をかける、というと微妙な聞こえにもなりますが、それだけみんなの期待と夢がつまった作品なんだな〜と思いました。
こんなふうに読者や出版社や書店から、応援されて愛される小説は素晴らしい!

ということで、『死んだ山田と教室』は、
男子校に通っていた人、女子校に通っていた人、共学に通っていた人、下ネタが好きな人、下ネタが嫌いな人、運動部だった人、文化部だった人、帰宅部だった人、人を傷つけたことがある人、人に傷つけられたことがある人、学校が楽しかった人、嫌いだった人、クラスの雰囲気が最高だった人、ノリが合わなかった人、
大人になれた人、心を学生時代に取り落としてきた人etc.に私が勝手に捧げます!

以上『死んだ山田と教室』の回し者でした。

ぜんぜん関係ないことですが、
私は小、中、高校と生徒だったときの夢をよく見ます。
夢日記をつけているので、見返すと数年前に見た夢がくっきり思い出されて、脳がバグりそうになる。

知人に「私、今でもときどき教室にいる夢見るんですよね」「先日「懐かしい」っていって通っていた小学校か中学校に侵入した人が捕まってたけど、ちょっと道踏み外したら私もああだったかなって、人ごとと思えなくて」
と反応に困る話題を振ったところ「え、めっちゃわかります」と話が盛り上がった。
類とももいるようです。

私のフェティシズムはなんだろう? と考えたときに、
ひとつは通学時、授業時、放課後、とするっと通り過ぎていってしまった青春なのかな? と思いました。

ということはつまり? とつきつめていって
「私は放課後のオレンジ色染まっていた教室や、毎年40人を受け入れては放り出していく、あの教室と精神的に合体したかったってこと?」という質問が出てくるまで自問自答したところ、
さすがに狂気の発想な気がして答えを出す前に考えることをやめたのですが、
「空と!!! やりたい!!!」(※タイトル憚られるので調べてみてください)ともっと広大なことをどストレートに言っていた詩人の存在を思い出してなんだか安心しました。
太宰治と谷川俊太郎と谷崎潤一郎(の存在)に(勝手に)励まされて人生を生きています。

……というようなことを考えさせてもらった『死んだ山田と教室』読了です。
ちょっとでも興味持っていただけたかたは、ぜひご覧ください。

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