MOTHER

糸井重里強化期間と称してMOTHERをひたすら進めること数週間、ついに「このゲームもう進めたくない症候群」が出てしまった。

先々月のニンテンドーダイレクトをきっかけに、長年ずっとプレイしたかった「MOTHER」を始めた。超能力を持つ少年が世界を救う物語。自分が生まれる何十年も前に発売された、レトロゲームの金字塔である。このゲームのいいところを、まだうまく言葉にできない。なんてことない普通のRPGのはずなのに、どこか心が温まる、不思議なゲームだ。プレイ時の感想を新鮮なうちにいくぶんか書き残しておきたくて、パソコンを開いた。

このゲームを始めて最初に、なんでこんなに温かいと感じるんだろう?と思った。例えばオープニング。一般的なこの時代のゲームのピコピコ音は、まずプレイヤーに実機で音が聞こえるように、ということなのかとにかく派手で、長く聴いていると私の場合乗り物酔いみたいに思いっきりやられてしまう。ところが、このゲームを始めて最初に聴くこのオープニングは、全体的にすごく音がやわらかいのだ。子守歌のような曲調とともに、クレジット、次いでMOTHERのタイトルロゴが表示される。MOTHERのOは地球になっていて、くるくると自転している。ポリゴン数は限られているが、ちゃっちくない、現代でも通用する、とても趣のあるオープニングなのだ。はじめてこのオープニングを見たとき、私はSTARTボタンを押すのをためらってしまった。それくらい私はオープニングだけでこのゲームの虜になっていたし、なんとなく、これは男の子を通じて描かれる母性と愛の物語なんだろうなということを感じられた。

ゲームを進めてみると、いろいろな人に出会う。例えば主人公の母。娘二人と息子がポルターガイストで怖い目にあったのに、あっけらかんとしていて、主人公を送り出す姿もあっさり。こんな母親でよいのか?と思っちゃうくらいに淡白だ。でもかといってここでヒステリックなお母さんになられてもこまるよな。と思いつつ家を出る。ご近所さんのピッピがゾンビだらけの墓地にまよいこんでたり、スーパーで買った卵を親鳥のもとに返したり、それ以降世界の根幹につながるようなイベントも特になく、なんとなく超常現象でお困りの誰かをたすけて、何となく行ったことない方向へ歩いて、なんとなく敵に愛の言葉を投げかけて。どのイベントも世界を救う役には何にも立ちそうもなくて、早く世界を救わないとなのになって思いつつ旅をしてたら、いつのまにか仲間ができて遠くの土地までたどり着いて、たくさんのひとにありがとうと言われている。道を歩けばやれ変な円盤やら人を殺せるビームを打ってくるダサい宇宙人やらがいて、それらへの対抗策を何にも持ち合わせていないのに、みんなみんな深刻になることなく、超常現象を恐れることはあれど、自分の人生をただただ生きている。これがいいのだ。この日常のおだやかさと超常現象の怖さの塩梅が、ひとびとの生活の営みが、それぞれがそれぞれに問題や悩みを持っていて、それをなんとかしようともがくその一瞬を見せる様が、とにかく巧みで、にくい。世界を救わないといけないのに、なんて考えてる自分も、仲間も、人間も、動物も、たぶん異星人たちも、自分の人生をただ生きているんだろうなと、そう思う。こういうシンプルだけど見失いがちな大切なことのエッセンスが各所にちりばめられている。うまく文章を着地させられないのだけれど、なんかこう、この作品をプレイしていると、どうしようもなくみんながいとおしく感じられてしまうのだ。ただただ人間模様を見ているだけなのだけれども、なぜか愛着を持ってしまって、いとおしくてたまらなくなる。みんなの生活をもっと感じたくなってしまう。そう感じさせるセリフ回しが、糸井重里のすごいところなのだろうか。不思議だ。

さて、こうなってしまっては仕方ない。みんなの生活をもっと見ていたい。知らない人に会ってみたい。望んでいいなら、新しい友達が欲しい。けれど、それと同じくらい、みんなのセリフをすべて読み切ってしまうのが惜しい。エンディングで真相を知ることが怖い。ゲームをクリアしたら、物語の世界から私は一線を置いて離れることになってしまう。それがすごく悲しくて、どうしようもなく惜しく思えてしまう。そんな葛藤が日に日に大きくなってしまって、オープニングを見るだけで泣きそうになってしまって。でも一倉さん曰く「エンディングまで、泣くんじゃない」だからなあ。ちょっと急いでプレイしすぎて消化不良を起こしてしまったかな。文字通りの「このゲームもう進めたくない症候群」だ。こうなっては仕方ない。結局、この物語を進める決心がつくまではMOTHERはしばらくお預けだ、という結論に至った。こんなゲームは久しぶりだ。過去にこの症候群をこじらせたときはクリアまで数か月、ひどいときは1年はかけたから、糸井重里強化月間は糸井重里強化年間に格上げです。確実に。のんびりやろうと思います。

いまのところ線路の置石を爆破して、各駅を行ったり来たりしつつ新たなイベントを探しているところだ。ひいおじいちゃんをきっかけに旅立ったはずなのに、その情報もゼロ。PSIが何なのかもわからない。冒頭のジョージとマリアも特定できず、「かみのしっぽはどこにある。あまかけるふねのわすれもの」も意味不明。だけど、マジカントの女王様は主人公と似ているようだから、主人公の無意識下の母親像とか、あるいは女王様が主人公の血縁ではあるんだろうなとは思う。ひいおじいちゃんは出てきたから、ひいおばあちゃんとか?ジョージは不思議な研究に没頭したってあったから、もしかしたらひいおじいちゃんか共同実験者なのかもしれない。研究の結果平凡な主人公はPSIが使えるようになったとかあるのだろうか。そもそもマジカントも謎だ。あのカービィみたいにやたらピンクの世界は何なのだろう。天国?それとも主人公か誰かの精神世界?ドラゴンボールの亀仙人がいるところみたいだし、天国説が濃厚かもしれない。女王様はメロディを思い出したいらしいけれど、この曲はなにかの伏線とか、カギになるものなのだろうか。かみのしっぽはどこにある~もわからない。でも、ひいおじいちゃんが残した言葉だから、何かの伏線なのだろう。神の尻尾と考えると、超常現象を起こせるくらいのすごい神様の末裔・あるいは箒みたいな魔道具(=しっぽ)なのだろうか。上、つまり空やマジカントみたいな天界ともとれそうだ。UFOも出てくるから、宇宙のしっぽなのかもしれない。こう考えると天翔ける船もUFOと訳せるから、わすれものを意図的ではなく偶然に、あるいはしかたなくおいてきてしまったというニュアンスを与えるものとして、「宇宙にしっぽくんを置き去りにしてしまいました」ってことなのだろうか。糸井重里がスピルバーグの影響を受けたとどっかで言ってたはずだから、ジョージマリア夫妻が行方不明になったのは、天翔ける船UFOにさらわれたとか?そこでなんやかんやあって、尻尾を置き去りにして、マリアは消えて、ジョージひいおじいちゃんはPSIの研究に没頭して死んだ?でも物語の根幹となる愛や母性の要素が全く見えてこないぞ???というのが現在の私の頭の中である。これプレイ済のひとからみたらどう映るんでしょうか。MOTHERシリーズ自体についてはスマブラのネス達とフランクリンバッジしか知らないし、MOTHERシリーズがポケモンやUNDERTALEに影響を与えた、くらいの知識しかない超絶ミリしら民なので、見当はずれなことを言ってたら申し訳ない。ネタバレを踏まずになんとかクリアまでこぎつけたいものである。

以上、プレイ中断までの感想と考えていることを書きなぐった。来年のポケモンレジェンズZ-Aまでにはクリアしたいな~。

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