ほぼ日と真逆の人間

わたしがnoteを始めるきっかけになったのはほぼ日だ。
わたしはこの冬までほぼ日を知らなかった。先日のニンテンドーダイレクトで「MOTHER3」の配信が決まったことをきっかけに、長年ずっとプレイしたいと思っていた「MOTHER」というゲームを始めた。このゲームは業界の中では伝説的な作品で、制作に糸井重里さんがかかわっていた。(ちなみに私はこれまで、糸井重里というと、岩田社長と仲が良かった物書き、あとなぜかMOTHERの特集によくいるおじさん、程度しか知らなかった。お母さんに聞いたところではなんかすっごい人らしい。糸井重里さんごめんなさい!!!)ゲームを進める途中でだんだんうまくいかなくなって、開始から二十時間くらい粘ったあげくついに攻略情報を調べた結果、有名なほぼ日もほぼにち手帳も糸井重里さんの会社の商品で、インターネットでたまに聞く今日のダーリンとかいう文章も糸井重里さんのものだと知った。せっかくだから2月3月は糸井重里強化月間として、MOTHER2・3のネタバレを踏まない範囲でいまの糸井重里さんの文章も読みつつ、ゲームを進めてみよう!と決めて、マジカントと街々を往復する日々を過ごしている。(その結果がこの更新頻度です。ごめんなさい!)

さて、ゲームを進めながらほぼ日のアプリを覗く生活をしていると、糸井重里さんのもののかきかたの変化とか、自分の物欲の変動の仕方とか、いろいろなことに気付く。ただ、そのなかで最も意外だったことが、「ほぼ日の紹介する商品、私の癖にぶっ刺さってるのにそんなに欲しいと思わない」ということだ。ほぼ日は商品に特別感という付加価値をつけるのがうまい。きれいなお皿。すてきなくつした。それらの商品につながる素敵で唯一無二なストーリー。物を大切にする人や、買うならちょっといいものを買いたいタイプの人なら、ほぼ日の商品が”刺さる”ことだろう。実は私はかなりの物持ち人間だ。ダウンジャケットは手入れを欠かさず8年目だし、お父さんが新卒の時買ってもらった毛布を受け継いで使っている。ものをかうときは自分が気に入ったものしか買わないと決めているから、おきにいりジーンズはおしりがすりきれるまではくし、くつしただって穴を5回は修復して当たり前。シャーペンは握るところがはげたり変色したりしても使っている。一年間で手持ちの服が増えるのは珍しい。でも、旅先でであったいぬのフィギュアとか、美術館の特別展で売っている絵葉書とか、あるいはポケモンの古いグッズだとか、そういうのにめっぽう弱い。小旅行をするたびちんまりしたなにかを買ってきて、そのたびに部屋がちょっとだけ豊かで狭くなる。それなのにきれいな暮らしの概念にあこがれちゃうような、典型的なほぼ日的人間だ。それなのに、ほぼ日の売っている商品に興味を抱くことはあれど、買いたいとまでは思わない。これはなぜか。

まず最初に思いついた理由は、インターネットでものを買う体験が少なくて、ほぼ日の演出する特別感にのりきれてない、というものだ。当方大学生生活一年目。インターネットでの決済手段はコンビニ決済かニンテンドーアカウントにチャージしてあるお金のみ。おまけにひと月家の中でも全然平気な圧倒的インドア派。おかげさまでインターネットでお買い物するハードルがかなりたかい。これが商品紹介ページを読んですぐ気軽に3クリックくらいで買えちゃうなら、いまごろわたしはほぼ日の虜だろう。しかし、これは理由として弱い。なぜならわたしは気に入ったものならちゃんと買う人間だからだ。(実際ポケモンのサントラは予約開始したその日に注文して決済を済ませた。)特別感にあてられるのに、欲しいまではたどりつかない。これはなぜだろう。

次に思いついたのは、わたしが体験込みの買い物をしたがっているのではないかというものだ。旅行先でふらっと立ち入った雑貨屋でひとめぼれした手帳を買いたい。いつも通り過ぎる酒屋の奥に眠っているうまい日本酒を飲みたい。家の中でアプリを開いて買うまでのプロセスがちょっとした文章とクリック3つはつまらない。実際この考えはちょっとだけ近いと感じる。そこで試しに、実際に大学のカフェで高いコーヒーを注文して、それを飲みながらほぼ日を読んでみることにした...…。うん。ただいま。大して変わらなかった。家で読む本と図書館で読む本が違うように、家の外のほぼ日ならなにか変わるんじゃないかと思ったけれど、そんなことは全くなかった。むしろまわりのキラキラ感に圧倒されて、ほぼ日なら、そこで読まれて、素敵に感じて、あたりまえだと思った。となるとわたしのなかのほぼ日への障壁は何なんだろう?

ここでひとつ引っかかったのは、「ほぼ日で紹介されている商品はどれも素敵にみえる」ことだ。そう。どれも素敵に見えてしまう。どれも比べられるでもなく一番素敵で心が温かくなる商品ばかり。つまり、いい商品の飽和状態が起きているせいで、いいなとは思っても、これは買わなきゃまでたどり着けない。これは感覚的にかなり近い。皿もコーヒーも腕時計も、全部等しく素敵でえらべない。だから買いたいとまでは思えない。仮にほぼ日メンバーの中で「これを売るためにこの商品と並べて比較させよう」なんて考えてるあれこれがあっても、私が気づけない。だから買いたいとまでは思えない。読んで満足、見て満足なのだ...…。
さらにここで一つ思ったことがある。いいものだけれど、お高いんでしょ?と。素敵なお店で素敵なものが手に入るのはあたりまえで、素敵なものがあんまりないところ、例えば旅先のド田舎ハードオフ、ちっちゃな個人経営の古めかしい文具店、その片隅に置かれた商品の山をかきわけて出会う、ちょっとお得で気に入ったもの、そんなものを買いたい!だってわたし院進費用を頑張って稼ぐけちで貧しい大学生だもの!

まあ要するに、わたしはまだほぼ日の対象年齢に達してないのだ。ほぼ日はお父さんから銀行口座に70000ドル一括で振り込まれるような世界を救う少年や自立した大人のお姉さんが利用するサイトで、わたしはそんな財力も勇気もないから、ほぼ日ではまだなにも買えやしないんだ。わたしはほぼ日適性が高いようにみせかけて、実はほぼ日の真逆に立っている、対岸の人間なんだ。ごめんね糸井重里さん。私大きくなったらほぼ日でお気に入りをちゃんと見極められるようになって、ほぼ日でぜったいお買い物するから。それまでどうかほぼ日が続いていてください。お願いします。

そんなことを勝手に考えて勝手にPCに向かって祈っている冬休み。
もうやめとここの話ー!


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