にぎやかな静寂 「ぱんつとぱっち」
子どものころは自由で楽しかったけれど、考えてみればそうでないこともたくさんあった。
小学二年生のときの「抜き打ち身体測定」もそのひとつだ。
むかしはそんなものが正式な学校行事としてあったのか、と驚く人もいるだろうが、正式かどうかはいまとなってはわからない。ただそのことは四十五年ほども経ったいまでも「ワスレモシナイ」という修飾とともに、その日だるまストーブの小さな覗き窓から見えた石炭の赤い色とともに、ぼくの記憶にしっかりと刻まれている。
そのときの担任の先生は、当時のぼくたちの母親よりもずっと年配の女の先生だった。ぼくは日頃からヒステリックないくぶん個人的激情をストレートに生徒にぶつけてくるその先生が苦手だった。
その日、朝の会が終わると、先生はなぜか最初から怒ったような口調でこう言った。
「今から抜き打ち身体測定をします。あんたらが、ふだんから綺麗な下着をつけているかどうか調べるために、前もってお報せはしませんでした」
いまならわかるがおそらく嘘だろう。先生がその日に身体測定をすること、あるいはそれを父兄に連絡することを忘れていたのだと思う。もしかしたらその日の朝唐突にに、いつでもいいなら早めに済ましておこうと思い立ったのかもしれない。
相手は素直な子どもだから、小学校にはときどき抜き打ち身体測定というものがあるのか、と受け入れる。
生徒にしてみても突然一時間授業がつぶれたのだから、やったぁと思う。微かに歓喜を帯びたざわめきが教室にひろがった。
しかし、ぼくはその突然の成り行きに激しく困惑していた。その日、ぼくは少々込み入った事情のあるパンツを穿いていたのである。
子どもが穿く普通の白の綿のブリーフなのだが、洗濯のときに他の衣料の染料が移ってしまい、ちょうど前のところに茶色の変な染みがついていたのだ。
「色は付いてるけどきちんと洗濯して清潔なパンツやから大丈夫や。新しいの買うたげるから、今日だけ我慢して穿いて行き。誰に見せるわけでもないんやから、どうもあらへん。今日だけやから」
と、母に言われてきたばかりだった。
ぼくの記憶が間違っていなければ、当時は男子も女子も一緒だった。男子も女子もパンツ一枚になって身長や体重を測ってもらう。
ぼくは両手で前を覆いおしっこを極限まで我慢しているヒトがするような恰好のまま、終始教室内を移動するしかなかった。
すると、どこからか男子がしくしく泣く声が聞こえてきた。
男子でいちばんからだが小さくて大人しいAくんだった。
Aくんはだるまストーブを囲んだ柵のそばで俯いてじっとしていた。
Aくんは白いぱっちを穿いている。
おしっこでも漏らしよったんやろか、ぼくはそう思った。
「先生っ、Aくんがぱっち脱がりません」
誰か女子が言った。
「早く脱ぎなさいよ」と別の女子。
「早よぱっち脱げや」と男子。
「Aっ、なにしてるんや」と先生。
Aくんはどうやらパンツを穿かずにぱっちだけを直に穿いているようだった。
Aくんはぱっちを脱ぐに脱げないまま泣いていた。
ぼくは、Aくんもぼくのようになにか事情があって、今日だけ、ということでぱっちだけを穿いているのかもしれないと思った。
そうこうするうちに、ぼくが身長を測る番になった。台の上に立つと、先生が「手、どけい」と言った。
ぼくはぎゅっと目を閉じたまま、前を隠した手をほどき、気をつけの姿勢になった。茶色い染みが露わになった。説明しようとしたけれど、言葉が出なかったし、言っても無駄なような気がした。
目を閉じていても、先生が鼻で笑うのがわかった。
ぼくは母まで一緒に嘲笑されたように思えて、からだ中がかっと熱くなって涙が出てきた。
やがてAくんも「そのままでいいから、さっさと来なさい」と先生に言われてぱっちのまま測定を終えた。A君はそのあいだずっと泣いていた。
先生はすべての生徒の身体測定がおわったあと、
「先生は、あんたらがいつもどんな下着を穿いてるかよくわかりました。ふだん無精なことしてると、こういうときに困るのですよ」
と言った。
ぼくはずっと下を向いていた。たぶんAくんも―――。
ぼくはいままでこのときのことを幾度となく思い返してきた。
ぼくは六、七歳の子どもだったし、先生の中にはこういう先生もいた時代だった。
「心配せんでもええよ。どうもあらへん。キミらはなんも悪くない」
と、時間を遡り思い出の中のぼくとAくんに言ってあげたいけれど、それは叶わない。
だからいま、さまざまな状況にAくんやぼくのようなヒトを見かけたときにはちゃんとそう言ってあげたい、とオジサンになったぼくは思っている。
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