怖叫話音

黒い袋

 Sさんは19歳のときに先輩に誘われて当時サタニック・メタルと称されたジャンルを演奏するヘビィ・メタルバンドに加入した。
 文字通り悪魔崇拝や黒魔術などの世界観を楽曲やステージでの「演出」の軸とするバンドである。

 Sさんは脱退した先代メンバーの後釜としてボーカルを担うことになった。黒のサテンの生地で手作りされたステージ衣装は先代から譲り受けたという。

 そのときにもうひとつ受け継いだ物が、ぶ厚い黒い布で作られた袋であった。上部を紐で縛る巾着袋タイプで、サンタクロースが背中に背負うような大きな袋だったという。

 袋にはごつごつとした固いものがいくつか無造作に放り込んであった。
 見ると美容院などでカットの練習に使用されるヘア・マネキンだった。
 五、六体程あるそれらは、頭を割られ、目を潰され、頬を抉られ、その箇所に赤のペンキか何かで流れ出る血が描かれていた。

 ボーカルは比較的荷物が少ないということで、Sさんは日頃の管理とともに、ライブのたびにその袋を背負って会場に向かうことになった。
 そしてライブが始まる前にステージのアンプの上や左右のバスドラムのあいだやマイクスタンドの足元に血塗れのヘア・マネキンを配置した。

 Sさんは普段その袋を部屋の隅に置いていたが、それがそこにあるというだけでなんとなく気持ちが悪く落ち着かなかった。怖い、のではなく気持ちが悪い。実際の健康状態もそうした感覚に引きずられていくようで不安だったという。
 
 Sさんは袋を押し入れに突っ込んだ。

 何日か経ったころから、深夜、押し入れから何やら人の話し声のような音が聞こえるようになった。
 女性がクスクスとわらう声のようにも聞こえる。
 Sさんは気のせいだと思い込むようにしていたが、同じころを境に部屋中に何とも言えない嫌な匂いがこもるようになったという。

 ある日のこと。
 Sさんがその袋を担いでメンバーの集合場所へと歩いていると、六十がらみの女性から声を掛けられた。面識のない女性だった。
 思えば、その女性はさっきから立ち止まったまま、こちらをちらちらと見ていた。
 当時はまだ男性の長髪やヘビメタファッションに抵抗感をもつ大人も一定数いて、面識のない人や一見して怖い仕事関係の人からいきなり怒られることもあったという。だからまたそういうことかと身構えた。

 女性は遠慮がちに話し始めた。
 Sさんの容姿について文句をいう訳ではなさそうだった。

「あんな、お兄ちゃん。初対面のおばちゃんが突然こんなこと言うのはどうかと思うて、おばちゃんもちょっと悩んだんやけど……。お兄ちゃん、その袋の中、本物が紛れ込んでるよ。あかん。あかんで、お兄ちゃん。やめときや」

 女性は「そんなもん、いつまでも持ってたらあかんよ」と言いながら歩き去ったという。

いうまでもなく、袋の外からは中身は見えない。
女性は、通りすがりの、ちょっとお節介なあるいはものすごく親切な、視える人だったのか。

 ライブで生首を模した件のヘア・マネキンを見た客から「目が開いた」「目を閉じた」「笑っていた」と聞くたびに、他のメンバーは、それらが気のせいであり錯覚であると分っているからこそ、よしよし効果抜群とほくそ笑んでいたが、Sさんは正直笑えなかった。

 このままでは、何か良からぬことになる、とSさんは思った。
 19歳というまだ何もわからない年齢ではあったが、自身の本能的な部分が発する警報を感じとっていたのだろう、とSさんは言う。

 どうしたものかと悩んでいると、先代のボーカリストが復帰をするという話が出てきた。それとなくバンドの他のメンバーからSさんには身を引いて欲しいという空気も流れた。
「なにを自分勝手なことを」と怒ってもいいパターンではあったが、Sさんは即座に了承し、自ら脱退を申し出た。

 袋と中身は衣装とともに先代のボーカリストに返したという。

 先代ボーカリストが復帰したもののバンドはやがて自然消滅的に解散したと伝え聞いた。
 メンバーもヘア・マネキンもその後どうなったかはわからない。

「さっき、五体程、と言いましたが、『程』としか言いようがないんですよ。袋の中身をステージに全部出す。ステージある物を全部持って帰る。それだけ思ってやってました。真剣にひとつ、ふたつ、という風に数え始めると、毎回違ったものですから。ほんま、なんやったんでしょうね」

Sさんは言った。

 
  

 

 
 
 


 
 

 

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