キャッチ・ボール
小学校の三年生から五、六年生くらいまでの話。
昭和のこどもにしてはめずらしく野球にあまり興味がなかった。
巨人の星も侍ジャイアンツも他の野球アニメも好きで愉しく見ていたけれど、主人公に自身を投影して熱くなったという記憶はない。
スナック菓子のおまけのプロ野球カードを集めまくるということもなかった。付き合いで買うことがあっても、当たったカードがどこのチームの何という選手なのかよくわからなかった。
いま考えてみても嗜好のもんだいとしかいいようがない。
青色が好きだからという理由で中日の野球帽を買ってもらったが、読売巨人軍の帽子がほとんどという中では悪目立ち以外の何ものでもなかった。
当時、放課後や休日の遊びといえば小学校の運動場に集まってする草野球だった。そこでは、上手い子が監督よろしく放課後集まった友だちのポジションを振り分ける。余った者は「○○君は補欠」と、ベンチ(そんなものはないけれど)の保温を強いられる。遊びに来ているのに、である。
現在の事情はわからないけれど、昔はそういうことが普通にあった。ここまで書いてぼくがその「上手い子」であるはずはない。
もとよりそれほど野球が好きではないのだから、レギュラー陣との温度差は大きくなる一方だった。
家に帰ってもこちらから野球の話をすることはなかった。バットとグローブを買ってくれた両親になんとなく申し訳ない気がしたからだ。何気ない「どこを守ってるんだ、何番打ってるんだ」という質問が辛かった。
「いろいろ」と答えた。
ぼくとA君はいつも運動場の隅っこでキャッチ・ボールをした。さすがに上手い子から「補欠はじっと見ていろ」とはいわれなかった。
キャッチ・ボールは面白い。
近い所からはじめて徐々に離れていく。次第に自分たちでも「おおっ」と思うくらい遠くなる。
腕を引きながら腰をひねる。足を大きく前に踏み込むと同時に腰と腕と手首を鞭がしなるように連動させる。
放たれたボールは弧を描きながら数十メートルも離れた相手の胸元に真っ直ぐに向かう。投げるときの方向とちから具合と角度の微妙な調整は頭で考えるものではない。
自らの未知なる身体能力にわくわくした。たぶんA君も。
野球ではなくキャッチ・ボールという競技があればいいのにと思った――。
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