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「おいで。」 にぎやかな静寂

 ぼくが子どもだった昭和40年代は、周囲に野良猫や野良犬がいくらでもいて、いつも猫や犬が軒下で昼寝をしていたり、子どもと一緒に路地や空き地を走り回ったりしているというなんとものんびりとした時代だった。
 その頃の話になるけれど、長屋の店子は犬や猫を飼ってはいけないという暗黙のルールが(少なくともぼくの周囲には)あった。
 大家と店子のきちんとした申し合わせがあったのかどうかは子どもだったぼくにはわからない。住まいを傷つけたり汚したりしないようにだとか、あるいは衛生環境的な配慮もあったのだろう。
 けれども本当のところは、加えて言うならば誰が善いでも悪いでもなく、借家(長屋)住まいの人間が愛玩動物を飼うなんて……。という店子の大家さんに対する遠慮がそうした不文律となっていたのではないかと思う。
 当時はいまのように貸し手と借り手が対等というか、ビジネスライクというか、ギブ&テイク的な関係ではなく、ぼくの家族のように借家に住む者が、貸していただいている・住ませていただいているという意識でいるということは、子どものぼくでも何となく感じていた。
 目と鼻の先の大きな家に住む大家さん家族には、ぼくと同じ年回りの男の子がいて、彼は新しい高価なおもちゃをいくつも持っていた。優しかった彼は、ぼくにもそのおもちゃで遊ばせてくれたけれど、いちばん羨ましかったのは彼が犬を飼っていることだった。

 家の前に並べた植木鉢に水をやっていると、いつもどこからか灰色に黒い縞模様のある大きな野良猫がやってきて、ぼくの両足の間を身体を擦りつけるようにして8の字に歩いた。しっぽの先がカクっと曲がったどっしり太ったメス猫だった。ぼくは彼女をクマと呼んでいた。

 ある日、遊びに行った帰り道で、草むらの中に顔を突っ込んだままじっとしているクマを見かけた。クマは背中にかすかな緊張を漂わせながら、何かをじっと見ているようだった。
 自転車を下りてクマの背中越しに草むらの中を覗くと、厚紙の浅い菓子箱の中で生まれたての子猫がみいみい鳴いていた。
 真っ白と真っ黒と三毛と茶色の縞々。バラエティの詰め合わせのように別々の毛色にわかれていた。
 ぼくは小一時間その場で思案したあと家に帰り、子猫が捨てられていてこのままでは死んでしまう、ということを母に訴えた。
 中でもいちばん小さかった三毛猫だけでも連れて来てはいけないだろうかと訊いた。
 母は、気持ちはわかるけれど無理だ、駄目だ、と宥めすかしながらぼくを納得させようとした。そして、
「おおきくなって自分のお家に住んだらいくらでも飼うてあげい」
 と、言った。
 子どもを納得させるのに上手い言葉だとは到底思えないが、
「どうせ死ぬなら兄弟一緒の方が幸せ」だとか「そういう運命の子」と、心にもない悲しい言葉を言わなければならなかった母の気持ちは、子どものぼくにもわかっていた。わかっていたのにわかりたくなかった。困らせたくないのに困らせた―――。

 八年前のある日、友人から突然メールが届いた。
 〈近所の野良猫が産んだ三毛猫の赤ちゃんがいるんだけど、飼ってくれませんか?〉
 泣きながら眠ったあの夜のことを思い出した。

 
 
 


 



 
 

 
 
 
 

 
 
 

 
 

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