水晶のような
一年になんどか見る夢がある。
ぼくは夢の中で
「いままで、こうしている夢をなんどか見たよ」
と笑いながら彼とコーヒーを飲んでいる。
連絡をとれなくなって久しい友人だ。
ショッピング・センターの中にある、いつも休憩に使う小さな喫茶店。
ようやく念願がかなった、という喜びと、いやそもそもそんな大袈裟なことではないじゃないか、という思いを交互に抱きながらふと店内を眺める。
白い壁紙の店内は二十年以上昔のまま何ひとつ変わっていない。
やっぱり夢なのか……ぼくは夢の中でそう思い始める。
「大阪に出ようと思うんですよ」
彼はいった。
その言葉が相談ではなく報告だということはすぐにわかった。
ぼくは当時ヘビーメタル系のバンドをしながら、あるショッピング・センターにテナントとして入った小さなレコード店の店長をしていた。
四半世紀ほども昔の話である。
もともとはアルバイトとして働いていたのだが「ライブで休むときは前もって言えばいいから」とオーナーが社員扱いにしてくれたのだ。
バブルといわれた時期が始まろうとしていた。ぼくのような若者は何の恩恵にも与れなかったと思っていたが、現在の世の中と比べるとありがたい時代だった。
彼は中学、高校生のときからぼくのバンドのライブを見に来てくれていて、レコード店にもよく寄ってくれた。
レコード店も練習スタジオも少ない田舎町だから、同じ趣味を持った若者がひと所に集まるのは自然なことだった。ライブハウスもないので、地元でライブをするときは公民館や民間のホールを借りる。そんなときにも必ずチケットを買って見に来てくれた。
やがて彼も自分のバンドを組んだ。
偶然だろうが担当するパートもぼくと同じだった。
そして学校を出るとバンドをやりながらぼくのいるレコード店でアルバイトを始めた。彼の善良な人柄はわかっていたので、ぼくと同じように社員として入ることを勧めたが、彼はやんわりと辞退したことを覚えている。
小柄で可愛い顔をしていて、礼儀正しい彼は周囲の誰からも愛された。
他店のおじさんおばさんは、ぼくより六歳年下で体格も少し小さい彼を「ミニ・ハジメくん」と呼んでいた。ぼくたちは髪型から服装までよく似た恰好だった。
当時、滋賀県はバンドの育たない土地といわれていた。
京都、大阪、と順番にハードルを越える必要があったうえに、良い手本となる先達がいなかったからだ。都会が良くて田舎町が悪いということではないが、滋賀のバンドは暗中模索をつづけるうちに、ハードルを越えるまでもなく草臥れてしまうという部分があった。
それでも機材車を駆って県外でライブをするのは楽しかった。
本気でプロを目指す彼が一足飛びに大阪でバンドをやろうと考えるのはある意味当然だった。
ぼくの地元には結婚や就職、転居などのおりに吉凶をみてもらう「お伺いさん」と呼ばれる霊能力者がおられる。一般人に代わって神さまに伺ってくれるのである。いまでもそこを訪ねるひとは多いときく。
「うちのお母さんが訊いてきたんですよ。そしたらね『成功はしないけれど、止めても出て行くだろうからしばらく本人の思う通りにさせてあげなさい』っていわれたらしいんです」
と、彼はぼくにいった。
「成功しないって、か」とぼくは笑った。
「ええ」
彼も笑う。成功しないという言葉はともかく、お伺いさんの後ろ盾を得て大阪に出ることを両親に許してもらったことを喜んでいるようだった。
親を突き飛ばして田舎を飛び出して行くばかりがロック・ミュージシャンではないのである。
大阪に出た彼は、梅田でバイトをしながらメンバーを探し始めた。
やがて和歌山出身の天才的なボーカリストと出逢うことになる。
お伺いさんは調度よい落としどころを提示したな、と思っていた。
もともとお伺いさんは、昔から村人にとってもっとも信頼できる相談相手であり、あらゆる物事の調停役であったのだろう。
霊能力や心霊については、以前と比べるとはるかに近い場所に立つこととなったぼくではあるが、肯定も否定もしない立場でいたいと考えている。
あるいはお伺いさんに彼の未来を告げた神さまが、彼の家族の皆が一応の納得をみせる落としどころを提示したのだろうか。こんな感じでどう? と。
いずれにしてもお伺いさんの一件は、家族愛に恵まれ、周囲の人々に愛されて育った彼の心の根っこを表す実に彼らしいエピソードとしてずっと胸に残っている。
そして現在に至る彼の活躍を目の当たりにしていると、彼は「プロになって成功する。自分の音楽を世界中に届ける」という少年のころから微塵のブレのない「なによりも純粋でなによりも硬い信念」をもって、神の意志をも変えてしまったのではないか、と思うことすらある。
てっちゃん、ってどんな人でした? と訊ねられることがある。
まずぼくはいう。
「発音が違います。『ゼットン』と違って、ダウンタウンの『松ちゃん』の方のイントネーションですよ。てっちゃん、です」
そしていう
「水晶のような男です」
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