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ぼんのはなし

ぼんの家は、店から歩いて数分の場所にある長屋だった。
一度店の仲間とお供えのお菓子を持ってたずねてみたが、いくら呼び鈴を押しても反応はなかった。

ぼんが死んでどれくらいたった頃だろうか、こんな夢を見た。

ぼんの住んでいた長屋に行くと長屋はなくなっていて、その場所に高層ビルが建っていた。
下から見上げれば目が回るほどの高さがあり、先端は雲よりも遥かに高い。
いつの間にこれほどのビルが建ったのか。
テナントビルなのか、マンションなのかもわからないまま、ぼくは無意識のうちにエレベーターに乗りこむと屋上のボタンを押した。
屋上の階数は三桁を数えていた。

屋上に降り立つとそこは広大なオープン・カフェになっていた。
遥か雲の上。
空気は澄みわたり、周囲は混じりけのない柔らかい光に包まれている。
何人か先客がいて、それぞれが静かに穏やかに談笑していた。
「おにいちゃん」
 と声がして振り向くと、ぼんがにこにこと笑いながら立っていた。
ぼくはぼんの肩に両手をかけて、ガクガクと前後に揺さぶりながら
「なんや、ぼん、こんなとこにいたんか。どこ行ってたんや」
と言った。
ぼくはぼんが死んだことをすっかり忘れ、久しぶりに会ったような感覚になっていたのだった。
それからぼくたちは何か話したのだろうけれど、その内容ははっきりと憶えていない。

ただ最後に
「いつも応援してるさかい、おにいちゃんがんばってな」
と、言ってくれたぼんの声がいまでも耳に残っている。
ぼんはまだ声変わりをしていないままだった。

あれから30年あまりが経った。〈現在はちょうど40年となった〉

ぼくが人生の岐路と呼ばれる場所に立ったとき、あるいは苦悩の中にあえぐとき、きまって夢にその高層ビルが現れた。
明晰夢の中にあって、状況や内容があやふやに異なっていても、その高層ビルは必ず同じ場所にそびえ立っていた。
そのたびにぼくはエレベーターに乗り屋上に行く。
そこでぼんと逢ったような気もするし、自分ひとりで屋上に佇んでいたような気もする。
ぼくにとってそこは、大切な秘密の場所となり、屋上に行くことで、その時その時に必要な「身の丈に合った勇気と前向きな決意」を現実の世界に持ち帰ることができた。
その身の丈に合った勇気と前向きな決意は、そのままぼんと交わす約束となった。

ぼんは新しいゲームのことを教えるかわりに、時々、ぼくにだけ特別に、天国のエントランスを見せてくれているのかもしれない。
ぼんには、そういう茶目っ気があった……。

擦れっ枯しのおっさんが夢に遊ぶ話など気持ち悪いといしかいいようがないな、と思いながら拙文を綴った。
最近ぼんと交わしたある約束を忘れないために。

 

 


 
 

 
 
 

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