おいしくたべるということ      (にぎやかな静寂)

「好きな食べ物、ベスト3を10秒以内に答えよ」
 高校生の息子に突然いわれた。
「えーっと、えーっと、えーっと」
「10、9、8、7、6……」
「すき焼きとスシローとマクド!」
「子どもか。ていうか、あとのふたつ食べ物違うし」
「スシローとマクドはお前も一緒やろ」
「だからそれは食べ物違うって」
 息子は笑う。
「どんな食べ物でも同じくらい好きや。みっつなんて選べへんよ。お父さん好き嫌い全くないことはお前もよく知ってるやろ。まあ、すき焼きがいちばん好きっていうのは間違いないけど」
 すき焼きは、ぼくのなかで子どもの頃の記憶と相まって、喜びや幸福感といった心の在りように直結しているためか、未だ食べるときにしみじみ幸せを感じる特別な食べ物なのである。
 あとのふたつは半ば冗談だが《現在》における息子と共通の好物ということになるだろうか。

閑話休題。

 ぼくが人間の死というものをはじめて身近に意識したのは、小学校の低学年の時だった。年齢にすれば六歳か七歳ということになる。
 同級生の妹が、小児性の難病によって亡くなったのだ。
 同級生は女の子だったし家もごく近所ではなかったから、日ごろ一緒に遊ぶということはなかったけれど、彼女に幼稚園の妹がいることだけはなんとなく知っていた。

 ―――○○ちゃんの家の下の女の子が入院している。
 そのことをぼくは、おそらく両親か母親同士の会話から漏れ聞いたのだと思う。○○ちゃんと直接話すことはほどんどなかったし、学校で先生がわざわざ皆に報告したとも考えにくいからだ。
 当時の田舎の小学生にとって、身近な子どもが入院するということは大事件だったが、以前肺炎で入院した友達のように一週間ほどで退院してくるのだろうと漠然と思っていた。
 ○○ちゃんともほとんど喋ったことがないのだから、ぼくは○○ちゃんの妹がどんな子か知らなかったし、どんな病気でどんな様態なのかを知るよしもなかった。

 それから何ヵ月くらい経った頃だろうか。
「○○ちゃんの妹さん、亡くならはった」
 と、母から聞かされた。
 ぼくは子どもが死ぬということがうまく理解できなかった。死ぬのは歳をとったお爺さんやお婆さんではないのか。ぼくは子ども心に、そして自分には何もできないのに、あってはならないことが起きた、とひとり狼狽した。

「最期のほうは食べることも飲むこともできんようになって、ガリガリに痩せてはったんやけど、死なはる日の朝、めずらしくプリンを美味しそうに食べはったんやて」

 母の言葉は、子どもだったぼくの心に〈病室のベットに半身を起こして嬉しそうにプリンを食べる女の子の姿〉を刻んだ。
 (いま思えば、実際にはほぼ横になったまま、誰かに少しずつ口に運んでもらったのだろうが)

「いま、何が欲しい?」
 きっと大人たちは、どんなものであっても、そしてどんなことをしても彼女の望むものを用意してあげようと悲壮な決意を抱いていたはずだ。
 そして彼女は
「プリン」
 といった―――。

 ぼくはそれ以来、プリンを食べるときには、少しずつ口に含みゆっくりと味わうことが習慣となった。
 
 正月に使う祝箸の上下が両方細くなっているのは、片方は自分が、もう片方は神様に食べて頂くためだという。つまり自分が味わうことで、神様にも同時に味わってもらうのである。
 それと同じように
「この世にいない人が好きだった物を生きる者が食べるとき、ほんの少しその故人を思うことは決して無意味ではない」
 言葉にすればそんなことを、ぼくは子ども心に感じた。そして以来ずっと信じてきた。

 いつか息子が、
「すき焼きを食べると、親父を思い出すよ」
 と言ってくれたら、それだけでぼくはあの世でたいそう喜ぶと思う。
 息子が本気でマクドやスシローを好物のベスト3にあげるうちは、まだまだがんばって生きて働かなければならないけれど。

 
 
 
 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 
 

 
 

 

 

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