さざなみ (掌編小説)

 ながそね水泳場とまつばら水泳場は、大きな紡績工場をぐるりと抱え込むようにして南北に分かれてあった。
 ふたつの水泳場は、ぼくの心の中で明確なランク付けがなされていて、ながそねには申し訳ないけれどまつばらの方が圧倒的に上だった。
 まず、まつばらはきれいな砂浜なのに、ながそねは石ころがごろごろしている石ころ浜だった。ひとつひとつの石ころは波にあらわれて角が丸くなっていたからそれで怪我をすることはなかったけれど、浜辺を裸足で走り回るには少し具合が悪いのである。
 それに、まつばらには売店がたくさん並んでいた。
 かき氷が食べられる食堂や、浮き輪や水中眼鏡を売る店もあった。砂浜に沿ったその道を通るだけでいつもわくわくした。
 家から水泳につれて行ってもらえるうち、まつばら水泳場に来られるのは、ながそね五回に対してまつばら一回という割合だった。普段は母さんと妹との三人で家から近いながそねに行った。ながそねにはお店がなかったから、お金の使いようがない、というのも大きな理由を占めていたのだろう。
 父さんが休みの日に連れて行ってくれるのは必ずまつばら水泳場だった。
 ぼくは夏休みの間に数回ある父さんの仕事の休みの日が待ち遠しくてたまらなかった。妹はまだ小さかったから、妹を連れて行くと男同士の激しい水泳ができない。午後になって妹が昼寝をするのを待って、ぼくは父さんの自転車のうしろに飛び乗った。
「ちびには内緒やぞ。男の約束やぞ」
 あとで妹がごねるといけないので、父さんはいつもそう言った。
 ぼくは「うん、うん」と首がもげるほど頷きながら、父さんの背中に掴まって「うふふ」と笑った。

 三年生になったとき、突然小学校にプールができた。それまでは水泳の授業は、皆でながそね水泳場まで歩いて行っていたのである。学校にプールができたことで水泳場までの行き帰りに費やす時間がなくなり、時間いっぱい泳げることが果てしなく嬉しかった。
 プールは鉄骨とパネルでこしらえた矩形の囲いの中に巨大なビニールシートを敷いてあって、水を入れることで水圧によって側面と底面がぴったりと枠におさまるという、とてつもなく原始的な代物だった。にも関わらず、きちんと二十五メートル✖十メートルの大きさがあったのだから凄いとしか言いようがない。
 ビニールシートの底はつるつると足がすべった。だからプールの中を歩いていると、泳げる泳げないは関係なく誰もがすべっては、ばがばと水を飲み、げほげほとむせていた。けれど、水は水道水のように透き通っていて薬の匂いもしたから、むしろ健康に良いような気がしてぜんぜん平気だった。

 その年に突貫工事に近い形でプールが完成した理由がわかったのは、夏休みに入る少し前のことだった。
 その日先生は少し怒ったような悲しい顔をして大切なお話があります、と言った。
「ながそね水泳場は、水が汚くなったのでこれからは泳いではいけません。おうちの人にはプリントで報せますが、皆さんも泳ぎに行かないように」
 そう言いながら先生はガリ版で刷ったプリントを配ったのだった。

 その日の夕方、同じ組のたっちゃんと一緒に自転車でながそね水泳場に行ってみた。
 たっちゃんは三年生でいちばんの水泳の達人だった。
 一学期最後の水泳のテストのときに、平泳ぎとも犬かきともいえない溺れかけた蛙のような泳ぎ方で、三百メートル泳いで皆の度肝を抜いたのである。
 正確に言えば、目を真っ赤にして憑りつかれたように泳ぎ続けるたっちゃんの迫力にびびった先生が「もうやめてぇ」とプールに飛び込んでたっちゃんを抱き上げてしまったのだった。
 たっちゃんは鼻水とよだれでぐしょぐしょの顔で
「まだ行けるで」と言った。
 そのときのたっちゃんは最高にカッコ良かった。

 ながそね水泳場は夕焼けでオレンジ色に輝いていた。
 振り返ると、道路も家並も目に見えるすべての物が、まるで目の前にオレンジ色のセロハンをあてたみたいに見事にオレンジ色に染まっている。
「これやったら絵描いても色塗るの簡単でええな」
「ほやけど、このオレンジ具合は誰も信じてくれへんで。全部オレンジに塗ったら先生に怒られるだけや」
 石ころだらけの浜に自転車をとめて、ふたりでオレンジ色に染まった水の中に膝まで入ってみた。
 水は思ったよりも冷たかった。
「商店街のそばにモータープールていうのが出来るって、看板に書いてあったんや」
 たっちゃんが言った。
「どんなプールなん?」
 ぼくが訊ねると、たっちゃんは少し興奮した顔で説明を始めた。
「まだ工事中やでようわからんけど、ぜったい面白いプールやと思うぞ。なんせモーターが付いてるんやからなぁ」
「モーターで水が回るんやろか」
「プール自体が回るんと違うか」
 それが駐車場のことだとわかるのはその少しあとのことだったけれど、そのときぼくたちは絶対行こう、死んでも行こう、と約束したのだった。

 夏休みが始まる。
 そう思ったとたん、胸が急にわくわくして熱くなった。
「水……汚いか?」
「……わからん」
 さざ波が膝っ小僧をくすぐっていた。

〈昭和四十八年、彦根近くで淡水赤潮が発生し、昭和五十年にかけて南湖を中心に水泳場が一部閉鎖された。「びわ湖富栄養化防止条例」が県会議において可決されたのは昭和五十四年のことである〉 

 P.S. 上記の頃、それ以前は、生活排水、とくに合成化学洗剤の排水などが河川から直接琵琶湖に入り込んでいましたが、環境保全運動と並行して、現在は下水道もでき、生活排水が琵琶湖に入り込むことはなくなりました。

 P.S.S. 最近は水もずいぶんと綺麗になりました。けれど、遊泳可の水泳場でも、昔のように人は泳いでいないのが少し寂しいです。(=^・^=)

 
 
 
 

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