雲枕

 毎年三月の下旬、穏やかな日差しに春の兆しを感じ始めた頃、突然寒気が戻り、琵琶湖の西岸に連なる比良山系から冷たい突風が吹き下りることを「比良八講荒れじまい」(突風を指す場合は「比良八荒」とも記す)という。
 比良山系で行われる法華八講と呼ばれる法要と時期が重なることからそう呼ばれるようになったとされる。
 冬、琵琶湖に吹く風は、強く冷たい。
 冬の名残りのようなその突風が吹いて、ようやく湖国に本当の春が訪れるのである。

 作家の藤沢周さんが新しくお出しになった短編集「界」に収録された「比良」という作品の中で、登場人物が「比良八荒」とそれにまつわる伝承を語る場面があった。
 久しく忘れていた昔話だが、滋賀県に住むぼくと同じか年上の世代なら、誰もが一度は耳にしたことがある話である。
 今回、藤沢周さんの「比良」を拝読したことで懐かしく思い出したわけだが、民話自体を語ることに問題はないだろうと判断し、琵琶湖に伝わるその物語を紹介したいと思う。

 ―――比良の麓の寺で修行するひとりの若い僧が琵琶湖の東岸に渡り、托鉢を続けていた。もともと病弱だった上に飲まず食わずで托鉢を続けた僧は、ある日道端に倒れてしまった。
 その姿を見つけた一人の娘が家に連れ帰り、何日もの間手厚く看病した。
 やがて回復した僧は寺に戻ることになったのだが、看病をする間に娘が僧に好意を持ってしまった。
 僧は対岸にある浮見堂に戻り百日の修行を遂げなければならなかった。
 看病に対する心からの礼とともに、そのことを告げたが、離れたくないと娘は泣きくずれる。
 僧は困り果てたが命の恩人ゆえ邪険にもできない。
 そこで僧は、
「もし、あなたが百日の間、毎夜わたしの修行をする姿を見に来てくれたなら、修業を終えた暁にはあなたと一緒になりましょう」と言った。
 僧が寺に戻り修業を始めると、娘は毎晩、たらい舟に乗って琵琶湖を横断し対岸を目指した。
 悪天候や月のない夜は、対岸に見える僧が修行する浮見堂の微かな灯だけが頼りだった。
 対岸に着き、僧の姿をしばらくのあいだ見守ると、娘は再びたらい舟を漕いで家に戻った。
 娘は僧を想い、その姿を一目見たい一心で、約束通り毎晩対岸に渡った。十日、三十日、五十日……。雨の日も風の日も。
 百日目に果たされる大きな約束を夢に見ながら。
 ところが、僧はそのうち、娘の行為に執念めいたものを感じるようになってきた。
 娘の気持ちは嬉しかったが、もとより、自分の事を諦めさせるために言ったこと。どうして、か弱い娘が毎晩毎晩、琵琶湖を渡って通って来られるのか。
 僧は娘が蛇か鬼に憑かれているのではないかと思い始めた。
 娘が魔物に思え、百日目が来るのが怖ろしくなった。
 そして、百日目の夜。
 悪天候の中、真っ暗な湖面をたらい舟に乗った娘が対岸を目指していると、唯一の目印である浮見堂の灯が消えた。
 灯を消したのは、僧であった。
 方向を見失い波に揉まれた娘は、真っ暗な琵琶湖の底に沈んでしまった。
 それから毎年その時期になると、娘の無念が強い風を吹かせるようになったのだという。

 以上が、おおよそのあらすじである。
 浮見堂は琵琶湖の西岸の堅田という地に実在し、娘の家は琵琶湖の東岸、愛知川の河口付近だとされている。
 ただ、話の詳細は土地土地で微妙に異なり、浮見堂の灯は僧が消したのではなく、その時期に吹く「比良颪」によって消えてしまったとされるパターンもある。僧が消したとされるのは、民話蒐集的な書物に多く、対して、現在比良八講荒れじまいが春の到来をよろこぶ祭りや地域行事へと展開されている場合は、娘の悲劇に僧の直接的な介入はないのである。いずれにしても、ひとりの若い娘の無念が比良の突風を吹かせる、ということで一致している。

 比良八講荒れじまいのときに、比良の山々の頂を覆うようにかかる雲を「雲枕」という。

 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 
 
 

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