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市民運動会

 秋になると市民運動会が行われる。
 地域によって呼び方はことなるのかもしれないけれど、市民運動会とは小中学校の運動会とは別に、学区に住む住民が参加して行われる年中行事で、ようするに地域住民の誰もが参加できる大運動会である。
 我が学区のそれは歴史も長く、今年60回を数えるとのことであった。
 
 子供たちは学年ごと、大人たちは年齢別に競技に出る。
 学校の運動会とは少し違って、工夫をこらした楽しい障害物競争という趣の種目が多い。
 競技に出れば順位に応じて子供は文房具、大人は台所用品や日用品の景品が貰える。これを目当てに(あるいは奥方に命令されて)参加条件が見合う競技にはすべて参加するという親父さんも多い。ぼくもそのクチである。
 さらには学区内の自治会が幾つかの色別チームに分けられていて、チームが対戦する競技は得点競技となっている。
 順位が決められ優勝旗や杯が授与されるから、必然的に自治会同士の対決ということになり自ずと白熱した戦いが繰り広げられることになる。

 若い頃はあまりそうでもなかったけれど、歳をとってからは他の人が出ている競技を見ているのも面白くなった。
 ときには、ただ人が走っている姿を見ているだけで涙腺がゆるむほどに感動することもある。こうなると、もはや若者には理解しがたい年寄りであろう。

 勝ち負けはどうでもいいからみんな頑張れ!
 そんな気持ちで応援する。
 幼稚園児の輪くぐり競争も、老人会の玉入れも、青年たちのラムネ早飲み競争も……。年齢性別に関係なく、人間が一生懸命にものごとに打ち込んでいる姿はしみじみ尊く美しい。
 せめて運動会くらいは、成果や勝敗ではなくこのシンプルな価値観をもって素直に感動したいと思う。

 
 市民運動会での忘れられない思い出がある。
 小学生のときのことだから昭和四十年代の終わり、今から遠く四十年ほど昔の話になる。
 先に書いてしまうけれど大した出来事ではない。
 けれども、いまでもなにかの折に記憶の澱の中からふわりと浮き上がって来る思い出の断片なのである。

 借り物競争でのことだった。
 説明はいらないとは思うけれど、コースの途中に置かれた紙を拾い、そこに書かれているものを観客から借りてゴールを目指すという競争である。
 紙に書いてあるものは、物の場合もあるし物を持った人の場合もある。物を持った人、のときはその人と手を繋いで走り一緒にゴールするということになる。

 ぼくのレースのときには、紙に何と書いてあったのか思い出せない。
 たぶん赤白帽とかそんな感じの物だったのだろう。誰かと一緒にゴールしたという記憶がないからだ。
 ぼくはたしか二位か三位という地味な順位で、その番号の書いた旗の列に並んで体育座りをして、走り終えたみんなと続きのレースを見ていた。
 レースの残りもあと何組かになったとき、Aくんの組がスタートした。
 Aくんは体が小さくて、勉強があまり出来なくて、かといって運動も得意でなくて、いつもニコニコしていて、大人しくて優しい男の子だった。ぼくはそんなAくんが好きだった。
 Aくんたちは他のレースの時と同じように、まず紙を拾い、指示されたものを探しに観客席に向かって散らばりながら、大きな声で「〇〇~っ!」と叫んだ。
 やがてハンカチを持った子や、水筒を持った子が次々とゴールした。
 最初のうち、Aくんはなんだか苦戦しているようすだったが、みんなゴール地点を見ていたし、彼の姿もやがてそこに現れるものだと思っていた。
 
 あれっ?と誰もが思った。
 
 ぼくたちはコース上にAくんの姿がないことに気づいた。
 紙が置かれていた場所からゴールまでを何度見返してみても姿がない。まれに、対象の物が進行方向に見つからない場合は少しコースを戻ることもあるけれど……。
 ぼくたちは顔を見合わせた。

 学校の正規の運動会では有りえないようなミスと悪い偶然が重なったのだろう。あろうことか次の瞬間、次のレースの号砲が鳴ってしまった。
「うわーっ、アカン、まだアカン」「きぁーっ」と走り終えた生徒たちから思わず声が上がった。
 事に気づいた係の大人のひとりが、他の人とともに運動場を斜めに横切って走って行った。

 しばらくして、Aくんが大人の人に手を引かれてコースに戻って来た。
 Aくんは大泣きしていた。
 Aくんの紙には「めがねをかけた大人の男の人」と書かれていたということだった。
 今思えば、紙が置かれた位置から先のコースの脇は子どもたちが休憩や応援をするエリアだったし、当時市民運動会に参加する成人男性の数自体も今ほど多くなかったような気がする。

「えーっ、あのーっ、おほんっ。お知らせします。借り物競争で『めがねをかけた大人の男の人』と書いてありましたら、えーっ、本部席の……、あーっ、来賓の先生方にあーっ……」

 しばらくして、マイクを通した胴間声が運動場に響いた。ぼくたちの知らないオジサンの声だった。
 そのとき、借り物競争はすでに最終の組も走り終えていた―――。

 誰が良いとか悪いとかいう話ではない。
 子どものときの思い出である。

 ここ数年、プログラムから消えてしまって淋しいのだけれど、少し前までは、ぼくの地域の市民運動会でも小学生を対象にした借り物競争が行われていた。
 
 ぼくはいつも、眼鏡、帽子、携帯電話、タオル……、思いつくかぎりの対象物を身の周りに用意して、コースのすぐそばで応援した。
 走って来る子どもたちを待ち構えるようにして
「なんや?なにがいるんや?」と叫ぶ。
 もはや趣旨がかわり、ひとり貸し出し競争である。
 運動靴を片方貸したすぐあとのレースで、帽子の男性、ということで片方裸足で走ったこともあった。

 
 数年前、同世代の不祝儀が続いた夏があった。淋しい夏が終わり秋になった頃、Aくんの訃報が金木犀の香りとともに静かに届いた。
 中学を出てすぐに家族とともに遠くに越した彼のことを誰もが憶えていた。

 借り物競争が無くなったいまも、ぼくは無意識にウエスト・バッグの中に色んなものを詰め込んで市民運動会に向かう。
 秋空の下、運動場の砂ぼこりの中からあの日のAくんが走ってくるような気がして―――。
 

 

 
 

 
 
 

 
 

 

 
 

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