表現すること

 ずいぶん昔の話になる。
 テレビのお笑い番組を見ていたら、まだ無名の新人芸人が何人か出ていて、それぞれがお笑い志した理由を答えるという場面があった。
 有名になりたいから、異性にもてたいから、お金持ちになりたいから、純粋にお笑いが好きだから、と向日性を感じさせる若者らしい言葉がつづいた。

 すると、さいごのひとりが、
「自分の面白いと思うことを他人も面白いと思うかどうかを試してみたかったから」と答えた。
 髪の長い少し気難しそうな顔をした青年だった。
 けれども司会者は、場馴れした自然な進行を以て彼の答えを黙殺した。
 そもそも新人たちの顔と名前を売るためというより、お約束の質問をしただけの流れだったので、青年の答えは場の空気が変わると判断したのだろう。

 いまとなっては青年の顔も名前も覚えてはいないけれど、彼の言葉だけはこうしていまでもはっきりと記憶している。
 ぼくが「彼の言った『面白い』を人間のあらゆる感情に置き換えて、読んでくれる人の共感に訴えてみたかったから」文章を書き始めたことを、彼があらためて思い出させてくれたからである。

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