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にぎやかな静寂  「BAG」

 昔ひとりでインドに行ったとき、荷物は50リットルのザックひとつだけだった。50リットルのザックと言えばバック・パッカーのそれとしては、かなり小さい。
 とはいえ、旅を続けるうちにパッキングの要領を得るもので、小さければ小さいでなんとかなるものである。
 ほんとうに必要な物だけが残っていくのである。
 旅のあいだに実感したのは、自分の身体とザックに詰め込まれた僅かな物が「全て」だという潔さの、なんとも言えない心地良さであった。
 くわえて、それが全てならば貧乏人も金持ちもない(厳密に言えばザックにも高級品と廉価品はあるけれど)という精神の開放もあった。
 いつ何があってもザックを引っ掴んで対処できるように整頓して枕元に置いて寝る、食事をするときにも床に置いたザックのストラップに足を通しておく等といった緊張感もしみじみ忘れ難い。
 他人を信用しないということではなく、自分と自分の物を大切にするということはそういうことなのだろうと思う。

 そんな心象が根っこにあるのだろう。
 男性にしては、バッグが好きなのである。
 出掛ける状況に合わせていくつかのお気に入りがある。
 普段は中に入れる物といっても、財布と眼鏡とガラケーとハンカチ・ティッシュ、精々このくらいなのだが、よほどの近所でない限り丸々の手ぶらで外出することは少ない。
 ずいぶん昔になるが、日常使い用のバッグとしてポーター・タンカーのヒップバッグを購めた。
 以来、大きさも形もデザインもしっくりきて、息子が生まれる前から長年愛用してきた。
 息子にしてみれば、物心がつくのと同時に、どこに行くときにもお父さんの背中に斜め掛けされた黒いバッグというイメージだったと思う。

 息子が高校受験に受かったとき、
「お父さんのポーターが欲しいんやけど」と言ってきた。
「いつも使ってるやつか?」
「そう、お父さん個人から、僕にお祝いとしてポーターちょうだい」
 と言う。
 ぼくは少し悩んだけれど、受験勉強時の息子の頑張りを思い出して、譲ることにした。お祝いならば新品を買ってあげればいいようなものだが、高校一年生が日常に使うボディバッグとしては、新品のポーターは少し贅沢に思ったからだ。それに家からのお祝いが別に用意してある。

 ぼくといえば、ひとつの機会だと思い新しいバッグを購入し、それを使うことにした。
 大きさも形もデザインも同系の物を選んだつもりだったが、どうにもしっくりこない。ポーターのそれよりも一見して高価だとわかるブランドで、けっして悪い物ではなかったのだけれど……。
 ああ、あのクタッとした柔らかさと手触りが、性に合っていたのだなと思った。

 新しいバッグは都合一年ほど使っただろうか。

 ―――最近、ぼくはもう一個まったく同じポーター・タンカーのヒップバッグを買った。
 結婚し、息子が生まれ、娘が生まれ、懸命に生活してきた。
 いつしかあのバッグが、家族との日々の暮らしこそが「全て」だという喜びと決意の象徴となっていたのだろう。
 ここに来て、ぼくの内面に、当時の喜びと決意を新たにしたいという心情もあった。

 
「せっかくやから、こっちの新しいのを使えよ」
 とぼくが息子に言うと、
「僕はお父さんのポーターがずっと欲しかったんや。だからこれがええねん」
 いまのままでいいと言う。

 親子でお揃いというのも少し恥ずかしい気もするが、もろもろ嬉しくもある。

 

 

 
 
 

 

 
 

 

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