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怪談琵琶湖一周(の中の一話) 「祈り」

「お前はどうしていつも暗闇や人間の軀に身を潜めるのだ? 己の力に自信があるのなら、堂々と表に出てきてやりたいようにやればいいではないか」
 神父の問いかけに、少女に憑りついた悪魔はこう答えた。

「人間は我々(悪魔)の存在を確信するのと同時に神の存在も確信するからだ」

 最近観た悪魔祓いを題材にした映画のワン・シーンである。
 私が知らなかっただけで既出の有名な言葉なのかもしれないが、神父と悪魔のこのやり取りがとても印象に残った。
 
 私がこれまで怪談琵琶湖一周に綴ってきた話には、極端な善者も悪者も出てこないが、信仰や哲学あるいは超自然科学といった難しいことはさておいて「怖い幽霊がいるのであれば、怖くない幽霊もいる」「悪い生霊が存在するのであれば、悪くない生霊もある」という考え方には、シンプルなれど理のようなものを包含されている気がするのである。


 『祈り』

 H市に生まれ育ったC香さんは、両親が共働きだったこともあり、同居していたお祖母さんに育てられて大きくなったお祖母ちゃん子だった。

 小中学校の頃は、話し方や使う言葉が年寄りみたいだと友だちにからかわれたり、お行儀が良すぎて堅苦しいと言われたりすることもあったが、おっとりとした優しい性格のC香さんは、友だちの多い楽しい学生時代を過ごした。

 C香さんが大学に入り、実家を出て一人暮らしを始めたとき、お祖母さんはたいそう喜んで送りだしてくれたが、内心とても淋しかったであろうことは、周囲の誰の目にも明らかだったという。

 C香さんが一人暮らしに慣れた頃のこと。
 C香さんとお祖母さんの繋がりを示すようなこんな出来事があった。
 ある日の夕方、C香さんがアパートの部屋で机に向かって勉強をしていると、背後でどすんと大きな音がした。
 重い荷物の入った段ボール箱を床の上に落としたような音だった。部屋が少し揺れたような気もする。
 驚いてうしろを振り返り、部屋の中を見回したが何も変わったところはない。ましてや大きな箱などどこにも見当たらなかった。
 何気なく時計を見ると、午後四時を少し回ったばかりだったという。

 何やら胸騒ぎを覚えていたC香さんは、夜になって実家に電話をしてみた。

 すると慌てた様子の母親が電話に出た。
 今しがた病院から戻ったばかりで、ばたばたしているのだと言う。
「お祖母ちゃんがな、今日、玄関出たところの石段でコケて骨折らったんや」
 幸い頭などは打たず命に別状はないものの、大腿骨を骨折して入院したのだと言う。

 驚いたC香さんは、さっき部屋にいたらものすごく大きな音がして何だか気味が悪くて電話をしたのだ、と母親に言った。
 お互いぴんとくるものがあったのだろう。
 その大きな音がしたというのは?
 お祖母ちゃんが転んだのは?
 同時にその時刻を訊いた。

 お祖母さんが石段で転んだ時間と、C香さんが部屋で大きな音を聞いた時間は、まったく同じだったという―――。

 

 やがてC香さんは、同じ大学に通う男子学生と親しくなった。
 最初のうちは学校で話したり、連れ立って街に出るだけの間柄だったが、今後本格的に付き合うことになるのだろうか、と思っていた頃、件の男性がC香さんのアパートに遊びに来ることになった。

 男性を部屋に招くことに抵抗がなかったわけではないが、周囲には半分同棲のような付き合いをしている友人もいる。日中に自分の部屋で話しをするくらいならばいいだろう、と思ったという。

 けれども、いざ男性とふたりきりで部屋に居るうちに、どことなく落ち着かなくなってきた。
 お祖母ちゃん子の奥手加減が災いしているのだろうか、と自分の性格を呪いながらも、恋愛に慣れているような男性のペースに引き込まれていくことに不安を感じた。
 ドラマや漫画で見たようなシーンのようだなと冷静に考える反面、男性の荒々しい息遣いが怖い。
 やがて、自分の引込み思案な性格が云々というよりも、もっと本能的な部分で、気が進まない、何か引っかかる、という思いが膨らんできた。

 すると、突然男性が鼻をひくつかせて
「お前の部屋、芳香剤強すぎないか?」
 と言った。
 気が削がれた、という不機嫌さが滲んでいる。
 匂いがする物といえば、ローテーブルの上にある最低限の化粧品くらいで、芳香剤の類はひとつも置いていない。
 なんの匂いのことを言ってるんだろう、と思いながら周囲の匂いに意識を集中すると、微かにいい匂いがすることに気づいた。
―――あ、あの匂いだ。
 C香さんは実家の裏の畑に植わっていた水仙の花の匂いを思い出した。
 それはお祖母さんが植えたものだった。毎年花の時期になると、実家の玄関の花瓶に飾られる。懐かしい匂いだった。

「臭っせー、昔の便所の芳香剤みたいな匂いがする」
 男性は、顔をしかめる。
「えっ? ちょっとだけ水仙の花のような匂いはするけど、そんなに臭いほどではないよ。でも、この匂いいったいどこからするんだろう」
 C香さんはそう言ったが、男性は思いの外気分を害したらしく、
 「俺、帰るわ」
 と帰ってしまったという。

 けっきょく彼とはそれっきりだった。
 
 のちにC香さんは、きっとお祖母ちゃんが守ってくれたのだろう、と思うようになったという。
 会わなくなってすぐに、女性にも金銭にもだらしのないぐうたら学生だと、男性に関する様々な悪評を漏れ聞いたからである。


「お祖母ちゃん、テレパシーとか飛ばせる超能力者か霊能力者なの?」
 C香さんは冗談めかしてお祖母さんに訊いたことがあるという。
「あほなこと言いな。そんな大層な力なんぞありますかいな。何の力もないさかい、あんたが無事でいられますように言うて、いつもいつも仏さんや神さんにお願いしてるのや」 
 お祖母さんは笑いながらそう答えたという。

 
 ―――当時お祖母さんはご健在だったのだから、一般的な定義に照らせばC香さんを守ったのは、お祖母さんの生霊ということになるのだろう。
「悪い生霊がいるならば、善い生霊もいる」
 
 私は個人的に、善い生霊とはつまりこういうことではないかと考える。
 そのシンプルな言葉を今回のタイトルとする―――。

怪談琵琶湖一周 四十九 「祈り」
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 
 

 

 
 
 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

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