怖叫話音

機材車 その1

二十代のころ、地元の友人たちと組んだアマチュア・バンドでドラムを叩いていたというMさんの話。

通勤用に軽自動車を所有していたものの、その一台ではドラム・セットを積みきれずいつも難儀していたMさんは、ドラムの運搬用に安い軽バンを探していた。
インター・ネットも無い時代のこと。休日に時間があると近郊の中古車センターや個人経営の中古車販売店を見て回っていたという。

ある日、少し遠出をしたMさんは、小さな中古車販売店に絶好の出物を見つけた。
軽バンの予算よりも遥かに安い破格の値段でワン・ボックスのロング・バンが展示されていたのである。
―――15万円。
足回り付近の塗装の剥げや錆び、ドアのパッキンのヘタリなど、細かい部分にケチを付ければきりがない。見えない所にも多少の不具合はあるだろう。
しかし、15万円ならば文句はない。
ロング・バンならドラム・セットばかりかギターやベースのアンプ、楽器をすべて積んで、さらにはメンバー全員が乗れる。
「こりゃ本格的な機材車だよ」
Mさんの心は踊った。

即決した。

Mさんは自宅から歩いて数分のところにある月極め駐車場を借りた。
だだっ広いの空き地のような駐車場で、月1000円ほどだったという。

ロング・バンは運転席と助手席、その後ろに三人掛けの収納式の座席があった。貨物スペースは大人が三人余裕で寝られる広さがある。
しかも床面にはカーペットを貼った合板がスペースの形状に合わせてぴったりと敷かれていたので、一見調度品の全くないキャンピング・カーといった風でもあった。前のオーナーがどんな使い方をしていたかは判らないが、仕事で乱暴に使われていたのではないことはすぐに判った。
バンド活動ばかりでなくアウト・ドアにも使えると、Mさんは良い買い物ができたことを喜んだ。

「ところが、買った当初からちょっと気になることがありました」
機材車は駐車場の正面奥にバック駐車していた。つまり車の正面はこちらを向いている。
道路から駐車場に歩いて入ると、二十メートルほど先に停めてある機材車の運転席と助手席に誰かが座っているように見える。
それは、昼間のこともあれば夜のこともあったという。
昼間ならば日光の具合、夜ならば外灯の光の具合、そう考えるのが自然であろう。しかし、日光ならば時間によって光の当たる角度は変わるし、夜の外灯は光の当たる角度こそ変わらないだろうが、Mさんとて、毎回機材車に対して同じ角度で近づくわけでもない。そう考えると、決まって人の姿が見えるのが光の当たり具合による目の錯覚というのは当てはまらない。
「ふたりとも白いTシャツを着ていて、顔はよく見えないのですが、シルエットの大きさというか雰囲気で、運転席は男性、助手席は女性ということが何となく判るんです」
そして、機材車まで五メートルくらいまで近づくと、すっと見えなくなる。
ドアに手をかけるときには、何ごともなかったようにしんとした無人の車内があるだけだという。

「それが、昼間も夜も、あまり怖いという感じはないんです」
それどころか。
車に向って歩いているうちに、なぜか自分の車に向かっているという感覚が薄れていく。
「なぜか、先に待ち合わせ場所に着いた友だちがぼくを待っている、そんなイメージの中に入り込んでしまって……」
(あっ、もう着いていたのか、ごめんごめん)と、白いTシャツのふたりに向かって足を早める自分がいるのだという。

そして、機材車まで5メートル程まで近づくと、ふと我にかえる。

そんなことがしばらく続いた。

ふたりが見えた日は、ドアを開けると、ふわっとコパトーンのような甘い香りがしたという。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?