怪談琵琶湖一周より「湖岸の石橋」GWver. (おひまつぶしに)
この話を書いたとき、琵琶湖に流れ込む河川の数を調べてみたら大小合わせて四百六十本とありました。つまりその数は、琵琶湖を一周する時に渡るおおよその橋の数でもあります。
[湖岸の石橋」
Sさんが免許を取ったばかりの頃だというから数十年前のことになる。
ある夏のこと。
Sさんは父親の軽トラックを借りてドライブに出かけた。
とくに目的もないまま琵琶湖に沿って延びる浜街道を走った。近いうちに自分のクルマを買うつもりだったが、とにかくひとりで運転してみたかったのである。
エアコンもカー・ステレオも付いていないから、ラジカセを助手席に置いて窓を全開にして走ったという。
当時ほとんどの商店は夜の七時頃には閉まるのが普通だった。
さほど遅い時間ではなかったが、集落の中でさえ外灯が疎らに灯るだけの淋しい夜の光景だった。
集落以外は琵琶湖と水田に挟まれた暗い道が続く。
幾つかの集落を抜けてしばらく経った頃、軽トラックのヘッド・ライトの灯りの中に、古い石橋の欄干が照らし出された。
水田地帯のありふれた石橋だった。
乗用車がなんとか対向できる幅がある。長さは二十メートルほどだろうか。
普通ならば気にも留めることなく通り過ぎるような橋である。
橋の手前数十メートルまで来たとき、橋のちょうど中間あたりの左側の欄干の上に何かが見えた。
―――ドンゴロスか(穀物などを入れる大型の麻袋)か?
最初はそう思った。
膨らんだ麻袋のように見えた。
欄干の上に置いてあるのか、あるいは、欄干にもたれ掛かるように立てられた看板か何かにすっぽりと麻袋が被せてあるのか。
―――いや、違う。
欄干に腰かけた人間だ。
脚を外側に投げ出して座っている。
いや、麻袋だ。
あの膨らみと質感はどう見てもただの麻袋だ。
Sさん頭はフル・スピードで回転した。
人間と言うなら、頭はどうだ、頭はあるか。腕はあるか?
麻袋と言うなら、どうやってあの場所に留まっている?
時間にすれば十秒に満たないだろう。怖いとは思わなかったが、そんなことをめまぐるしく自問自答したという。
そしてその真横を通り過ぎようとした時だった。
腰かけた状態から両腕で上半身をぐっと持ち上げて、ひょいと向こう側に飛び降りる男の姿がはっきりと見えた。
「うわっ」
人間だったのか!
いや、でもあれはやはり麻袋で、風か何かで向こう側に落ちたのがそう見えただけではないのか。
走り続ける軽トラの中で、Sさんはそれでも尚自問自答を繰り返した。
そして五十メートルほど通り過ぎたところで軽トラを止めた。
―――仮にあれが麻袋でなくて人間やとして、何かの理由であそこに腰かけていた人がいて、俺が通ったことで驚いて向こう側に落ちたんやとしたら。下手をすれば、ひき逃げのような扱いを受けるかもしれん。
免許を取ってまだ何日も経っていないのに……。
両親に迷惑をかけてしまうのか……。
だからこそ、知らん顔して行くことはできない。
麻袋ならばそれにこしたことはない。むしろその可能性の方が高い。
Sさんは泣きそうな心境で軽トラをUターンさせた。
百メートルほど走り、一旦止める。
再びUターン。
そのまま百メートルほど戻り、首を傾げながら再びUターン。
暗い道でSさんはそんなことを何度も繰り返した。
男の姿どころか、何度走ってもさっき通ったばかりの石橋が無かったのだという―――。
追記。
いったいあれはなんだったのだろう。
という体験は人生に一度や二度は、誰にでもあるのではないでしょうか。
車にまつわる幽霊話では「ああ、幽霊で良かった」ということが少なくありませんよね。諸々、安全運転でまいりましょうね。
ふと思いついて始めた GWの余興もあと一話となりました。
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