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『携帯電話』 随筆怪談

其の一。
先日こんなことが。
母のガラケーに着信があった。市役所かどこかの保険会社からの電話だと思ったらしい。ところが、母が電話に出ると相手は何も言わないまま電話を切ったのだという。
ぼくはその話しを聞きながら、電話に出たとたんに切れたのではなく、相手がおそらく母の「もしもし」という声を聞いてから切った、というタイミングに微かな気持ち悪さを覚えたが、それも考えすぎかもしれないと思い直し、
「ほんまに用事があるならまた掛かってくるで」と言った。
「そやな。おじいさん(ぼくの父のこと)の名前やったから、何かの手続きのことやと思うし」
と母は言う。
「えっ? 親父の名前て。相手は何も言わんと切ったんやろ? なんで親父のことやと思たんや?」

「そやかて、ここにおじいさんの名前が出てたから」

母はガラケーを差し出しながら、上蓋の小さなディスプレイを指さした。

―――は?
「そこには電話を掛けて来た人の名前が出るんやで。市役所か保険屋さんか知らんけど、親父に関する要件で掛けて来たとしても、要件の対象人物の名前が出るわけないがな。出るとしたら、市役所とか保険屋さんの名前か電話番号やで」

「ああ、そうか。言われてみればそうやなあ」
と母は首をかしげる。

「それに、親父の携帯は親父が亡くなってすぐに解約したよ―――」

母は82歳になる。
年相応に物忘れもあるし、思考力も若い頃よりはいくぶん弱くなってきている。
けれど一方で、この話を「母の思い違い」「携帯電話に疎いから」と片づけられない部分もある。
現在の母に、無作動、無音状態のガラケーに対して「電話が掛かってきて出たら切れた」というほどの意識の混乱はないからである。

そもそも、携帯の上蓋の小さなディスプレイとはいえ、そこに表示されたという長年連れ添った夫の、シンプルな漢字のフルネームを見間違うだろうか。

―――父は何か言いたいことがあったのだろうか。
   久しぶりに母の声が聞きたくなったのだろうか。


其の二。 
石田三成の佐和山城があった佐和山の裾を国道八号線が貫くトンネルがある。佐和山トンネルという。かつて「佐和山の戦い」で多数の命が失われた佐和山とその周辺には古より不思議な話がいくつも残されているが、佐和山トンネルにはいまも今日的な怪談に通ずる話を聞く。
ぼくは車でこのトンネルを日常的に使用しているが、いちどだけこんなことがあった。

まだガラケーだった頃、トンネルに入った瞬間にジーンズの前ポケットに入れていた携帯が震えはじめた。メールならば二、三回の振動で停止するから、ずっと震え続けているということは通話の着信である。
運転中の通話は禁止されているが、それ以前に運転しながらぴったりとしたジーンズからもぞもぞと携帯を取り出すことはできない。
あとで掛けなおそうと思い無視することにした。
ところが振動は止まることなく、何か急用か一大事かと思うくらい執拗に震え続ける。
「いったい何事や」と焦り始めたとき、車がトンネルを抜けた。
するとほぼ同時に携帯の振動はぴたりと止まった。
ぼくはしばらく進んだところで脇道に車を止め、携帯を確認した。

なぜか携帯の電源が落ちていた。

―――そして、着信歴は無かった。

(いまでもあれはいったいなんだったのだろうと考えることがある。もしかしたら、車を止めて携帯の確認をした数分間の有無が、何らかの災いから逃れさせてくれたのではないかと思ったりもする。ぼくにとって佐和山は子どもの頃から駆けまわって遊んだ親しみ深い場所である。そこに御座す誰かが電話をくれたのだろうか、と)

〈ちなみに、其の一の(亡くなった父からの?)母の携帯への着信にも着信歴は無かった。携帯にまつわる不思議な話あるあるなのだろう〉




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