道草
いまさら宣伝もなにもないけれど、話の取っ掛かり上ちょこっと触れることにします。「幽」怪談実話コンテスト傑作選「痕跡」の中の拙作「黄昏」という文章は、三十年来の友人と数か月にいちど京都駅で落ちあい、無駄話をしながらぶらぶら歩くという、アラフィフ親父のささやかな愉しみを元に書いたものでした。
京都駅を出て、ふたりで延々歩くだけです。カメラのない「夜はくねくね」(古過ぎ)あるいは「もやもやなんとか」といった感じでしょうか。
「黄昏」の中で、一日の移動距離は二十キロを超えると書きましたが、地図でざっと見ると三十キロ近いときもあります。朝、九時過ぎから夜まで休憩や食事以外は歩きづめなのですから。
食事は牛丼やカレーや王将で十分。むしろそういう処の方が落ち着けるのです。「子どもがいると、家では甘口ばっかりやからなあ」と辛口を注文したりしながら。
時間だけを贅沢に使った愉しみです。
仕事のこと、健康のこと、家族のこと、子どものこと、年老いた親のこと、お金のこと、将来のこと。
年齢とともに、話すテーマも内容も変わってきましたが、「幽」のコンテストに応募する切っ掛けを与えてくれたのも、その後押しをしてくれたのもこの京都散策と友人なのですから、ぼくの人生においては重要な意味をもつ個人的行事なのだなとあらためて思います。
四月だというのに、日中は三十度近い気温となりました。
上着を脱いでリュックに挟み汗をぬぐいました。その身体感覚は以前よく登った山の話の呼び水となりました。
山の話は、お互いの子どものことになり、やがて友人の親父さんの痴ほう症の話に移り、
「人生のさいごに、楽しかったことだけをいくつか憶えていたらええんやないか」
と、父親に対してか自分たちに対してか、おそらくその両方に対してそう言って、最近物忘れが増えたもの同士しみじみ納得したのでした。
この歳になると、親しい友人における多少の年齢の上下は関係なくなります。散策の途中、少し年下の友人は先日50になったことを告げました。
「おおっ、おめでとさん」
と、ぼくは言いました。
西の、北野さん~大徳寺方面を歩いたあと、御所まで戻ってきたとき、突然軽い眩暈をおぼえました。「あれっ」と少し驚きましたが、すぐに気のせいだと思いました。
もう一度くらっときたときには「尊い場所の磁場のせいか」となかば本気で思いました。友人との京都の散策の途中で調子が悪くなったことなどそれまで一度もなかったからです。
そもそも、暑いとはいえまだ四月。まだ高い気温に体が慣れていないから云々、などはもっともっと年配の人の話のはず。
いままではこんなこと一度もなかったのに……。
病は気から、と半分は正解・半分は無責任な激励ということを様々なシーンで痛感してきた言葉を自分に言い聞かせてみましたが、ふらふらして歩くのもままならなくなりました。
そのことを友人に伝えると、
「きょうは、いつもより距離が長かったし、急に暑くなったからな」
と、様態を案じるというよりも先にフォローするような言葉を返しました。
友人は僕が次に言う言葉がわかっていたのでしょう。
「敗北感、ハンパないなぁ」
ぼくは思わずそう言ったのでした。
「地下鉄に乗ろう。そもそも乗り物に乗ったらアカンなんてルールないがな」
友人はそう言って笑いました。
そして、
「きょうは、いつもより距離が長かったし、急に暑くなったからな」
と、もう一度言いました。
なにかがひとつ、進んだような退化したような、上がったような落ちたような、そして憤りと諦めの綯交ぜになったような気分で地下鉄に乗って京都駅まで戻りました。一駅、ふた駅……。いつもなら歩いているのに、と。
ウォーキングでも遠足でも散策でもあり、そのどれでもないぼくと友人の愉しみは、わざわざする小学、中学の頃の道草のようなものだと思っています。
今回の出来事を「こんなはずではない」と思う自分と「ああ、歳をとったな」と思う自分がいます。それが現在のリアルなぼくの姿です。
またしばらくしたら、友人からメールが来るでしょう。
―――そろそろ、ぼちっと。
ぼくは「諒解」と返して、カレンダーに丸をつけます。
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