白の情景
むかし、元旦からの3日間はどこの商店もデパートも休業していた。数少ない娯楽施設である映画館やボーリング場もお正月休みだったし、いうまでもなくコンビニのコの字もない時代である。
近所の神社に初詣に出かけた後は外出する理由もないから、家でこたつに入ってミカンを食べながらテレビを見る、というのが田舎町における一般的なお正月の過ごし方だった。
4日目か5日目に、映画を観に連れて行ってもらったことがあった。まだ小学校の低学年だった頃のことだ。
父と、遊びに来ていた伯父とぼくの3人で、商店街にある映画館まで歩いて行った。何の映画だったのかはどうしても思い出せない。
妹と母は家で留守番をしていたのだろう。小さな女の子が観て喜ぶような映画でなかったことは想像できるし、何より、妹が映画館まで行けるような状況ではなかったのだ。
その日は、よく晴れた日だったけれど、元旦から降り続いた雪がすでにぼくの腰のあたりまで積っていた。しかもまだ車も少ない時代だったから、町家の軒下に人が歩ける最低限の分だけ雪をかいた道があっただけで、通りに積った雪はほとんどそのままだったのである。
商店街にある映画館まで歩いて1時間ほど。長靴をはるかに超える深い雪の中を3人でがしがし歩いた。
雪に照り返す冬の陽光が煌めいている。
眩しすぎて息ができない。
ぼくの少し前を歩く父と伯父の黒いシルエットを、ぼくはなんだか現実と夢の間にいるような不思議な感覚で追いかけた。
大好きな父と伯父がいて、ポケットにはお年玉もある。商店街のおもちゃ屋さんは今日はもう開いているかもしれない。
あの日ぼくは震えるような幸福感の中にいた。
そして、その光景は五十数回迎えた新年の中で印象深い光景のひとつとして記憶に残っている。いまでも雪が積もると、外を闇雲に歩きまわりたくなるのは、そのせいかもしれない―――。
追記。
映画館はモノスゴイ人だった。
当時の映画館は入れるだけ客を入れろ、という営業方針だったに違いない。入場料を払って入場したのはいいけれど、狭いホールを抜け劇場のドアを開けると、すぐそこに人の背中がぎっしり並んでいて中に入ることもままならなかった。
観客席の後ろのスペースだけでなく、通路にも立ち見の客が通勤ラッシュ時の車両よろしくぎっしりと入っているのである。
当時は、映画の二、三本立てというのが普通で、入れ替え制という概念はなく、一日中でも観ていられた(椅子を確保できればの話だけれど)そのうえタイム・テーブルは、映画館に来なければ知る術もない。入場したタイミングによっては、映画のクライマックス、あるいはどんでん返し、はたまた種明かし的な場面から観ることになる。だからその場面に至るまでの部分は他の映画を観たあとで、最初から観ることになる。よってかなり残念な観覧のしかたになってしまうのであった。
で、ぼくは、ぎゅうぎゅう詰めの大人たちに挟まれ、半分宙に浮いたまま何時間か過ごしたわけだが、ずっと白いワイシャツ(皆暑すぎて上着を脱いでいたのだろう)を見つめながら音声だけを聴いていたのだった。何の映画か憶えていないはずである。
拙文のタイトル「白の情景」の本当の意味でもある。
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