自分は何者なのか
Noteを書き始めて1年くらいが経った。そのきっかけは単純で、図らずも自分の人生を導いてくれた、愛してやまないボスの一人が言ってたから。儚い人生の中で、どんな人に出会うかはとてつもなく重要だけど、もしも尊敬すべき人がいるのであれば、その人が言う事をまずはやってみるべきだと思う。合わなければやめればいいけど、まず間違いないから、やってみ。で、そのボスのNoteを初めて読んだ時に、カッコ良すぎて、一瞬で惚れて、呼吸するたびに惚れ込んでる、もちろん今も。ドイツでの奮闘記から始まって、大きな転機や想うことがあれば事あるごとに書いてきた。ここから更新頻度を上げていく所存です。ただ、勘違いしてほしくないのは、誰かにひけらかすためにNoteを書いてるわけじゃないってこと。これは全て自分のために綴ってる。
目的は、自分の頭の中を整理すること、これすなわちアウトプット。Noteを書いたことがある人ならわかると思うけど、一本の記事を書き進めるにつれて、グチャグチャな頭の中が整理されて思考がまとまる感覚。頭の中に新たなスペースができて、何でも吸収できそうな感覚。「他人にひけらかすためじゃないんなら、一体何のためだよ!」って言われたら、これが答え。
だったんだけど、今はそれともう一つ。それは応援してもらえること。ドイツから帰ってきて、変な人度は間違いなく増したけど、それと同時に応援してもらえる事が圧倒的に増えた。「Note見たよ!」って色んな人が言ってくれて、人に見てもらえるなんて想像もしなかったから、こんなに見てくれてる人がいるんだって驚きを感じながら、応援の声をもらうたびに感謝が溢れ出ちゃう。小さな頃から何者でもないことを自覚してたから、何者かになりたいと強く願ってて、ささやかながら、Noteはその願いを叶えてくれた。もしもNoteを書いてなかったら、そもそも自分が何をしてるのか、どんな想いを持って、何のために生きてるのか、知ってもらう機会なんてなかっただろうし、応援してもらえることもなかったんじゃないかと思う。でも、ドイツでのマンガみたいな経験も、UNTRACEの存在意義も、これから歩む道のりも、Noteに書いたからこそ多くの人に知ってもらえて、応援してもらえて、さらには誰かに刺激なんて与えることができてた日には、感激すぎて前が見えない。
まあつまり何が言いたいかって言うと、Noteを綴ること =「自分が何者なのか」を世間に知らしめることなのだなと。昨日、ボスにそれを言われた時に、Noteを綴る意義が完全に言語化された。自分にとって、Noteはあくまでも頭の中を整理するためのアウトプットのプロセスではあるけど、それと同時に、自分が何者なのかを世間に知らしめることができるツールなんだなと。で、それは人から応援される理由にもなり得ると知ったから、もう書かない理由なんてないでしょ?だから、書き続ける。その始まりは、言われたことを試しにやってみたから。それがNoteの始まりだったんで。言われたことをまずはやってみる。やり続けるのか、捨てるのか、取捨選択はその後で十分だと思ってます。「自分が何者なのか」を世間に知らしめるために、これからも書き続ける所存です。
ここから自分の人生さらにおもしろくなる予感してるので、初めて桜木花道を見たときの相田彦一ばりに言わせてください。「要チェックやぁ」
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