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安積疏水と郡山市と私①

安積疏水

それは古来より水が乏しく不毛の大地だった福島県郡山市の安積原野に、遠く猪苗代湖から水を引いた水路群、及びフロンティアスピリットに溢れた一大事業を指す。

郡山市に生まれ育った子どもは、物心ついた頃に学校で安積疏水について教えられる。

が、正直に言ってしまおう。
私は何を教わったかほとんど覚えていない。
覚えているのは『安積疏水』と『ファン・ドールン』。この2つの単語だ。

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こちらがファン・ドールン先生。オランダの土木技術者で、日本人が詳細に設計した安積疏水の設計図への助言・監修をした方。

あとは(今も続いているかは不明だが)体育交換会で踊る『郡山市民の歌』に、鍬を振り下ろす仕草が入っているのが謎だったことしか覚えていない。
(おそらくは開拓を表わす振付だったのだろうが、何の説明も受けなかったので憶測でしかないが。)

郡山市は合併を繰り返して大きくなった市だ。
自家用車を持たない家に生まれた私は、自分が暮らす地域から自転車で30分圏内の地域しか知らずに育った。
安積疏水は田畑を潤し、郡山市を一大農業地帯にしたが、家の近所に「これが安積疏水なんだ!!」と一目でわかるものはなかった。(なんせ開拓前は古い地図に『不毛』と書かれるほどに荒れ果てていた土地である、場所によっては水路どころか川すらないのだから仕方ない)

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安積疏水に由来する開成館という建物があると聞いてはいたが街中にある同名の喫茶店の方が身近だったし、毎年のように東北のお伊勢さまと呼ばれる開成山大神宮には行っていたがそれが安積開拓のために置かれたとは知らなかった。

郡山市は広い。それ故に、点在する安積疏水に関する遺構を把握することが出来なかったのだ。
だから開成山大神宮のすぐ下にある開成山公園にふるさと創生事業により建立された『開拓者の群像』というモニュメントを見ても、何やらお金をかけてよくわからんものを作ったなぁという認識しかなかった。

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多分そのまま、安積疏水というものをよく理解しないまま一生を終えていた気がする。

土木や地形を愛する遠方の友に「日本遺産に登録された日本三大疏水の一つである安積疏水を、いつか見てみたいんだ」と言われるまでは。

日本三大疏水て……なんです……?
そんな仰々しいものに地元が入ってますのん……?(宇宙猫)
(日本三大疏水とは安積疏水、那須疏水、琵琶湖疏水を指す)

しかし、アテンドを頼まれれば全力でおもてなしせねばなるまい。
そこから安積疏水について調べる日々が始まった。

2016年に、安積疏水とそれを巡る物語が『未来を拓いた「一本の水路」-大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代-』として日本遺産に認定された。

安積疏水の詳細についてはこちらのページを読んで頂きたい。
友が安積疏水を見たいと言ったのはその翌年で、郡山市では「日本遺産『一本の水路』スタンプラリー」を開催するタイミングだった。(本当はその前にあった安積疏水ウォークラリーに参加したかったが、足の具合が悪く、10kmも歩ける状態ではなかったので涙を呑んで見送った)
このスタンプラリーの台紙を、旅の基本コースとさせてもらうことにした。

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まず、ここに記載されている場所は重要ポイントらしい。

・十六橋水門
・上戸頭首工
・沼上発電所
・安積疏水神社
・安積疏水事務所
・中條邸跡(「安積開拓の父」と呼ばれた中條政恒の邸宅跡)
・郡山市歴史資料館
・久留米水天宮
・大久保神社

このうちの大部分が、すぐ横を通ったり、別件で足を運んだりしたことはあったものの、安積疏水と関連づけて考えたことは一度もなかった。

えっ……地元なのにこんなに知らないものなの……?

己の無関心さと無知さに震えつつ、地図にポイントを書き込んでいく。
そして納得した。

疏水を偲べる施設は、郡山市の街内よりも猪苗代に近いところに多いのだ。
猪苗代湖から水を引いているのだから当然である。だが、それ故に恩恵を被っているはずの郡山市民の目につきにくいというのは盲点だった。
しかし、『未来を拓いた「一本の水路」』の38の構成文化財のページを見てさらに驚いた。

この辺も安積疏水に関係あったの???! の嵐が吹き荒れた。

子供の頃、よく麓山公園で遊んでたけど、まったく知らなかったよ!?
安積疏水を調べる機会をくれた友に深く感謝しつつ、ひたすらに資料や現地を訪れた人のブログ等を読み進めていく。
その中で、国営事業として明治期に完成した安積疏水が福島県に移管され、昭和期にさらに開拓・延長されていたことを知る。(ここで初めて郡山市の水道料が高い理由をなんとなく理解した)
その中で、作られた当時のまま現役で稼動している水路橋があると知り、足を運んでみた。

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郡山市三穂田町にある、大谷一号水路橋(おおやいちごうすいろきょう)。

(どこにあるのか住所がはっきりわからなかったので、各ブログを参考にGoogle mapで目を皿のようにして探し当てるという荒技を覚えた。)
もともと建造物が大好きなのだが、これには強い浪漫を覚えた。大谷一号水路橋は昭和35年に造られたものだが、大元の安積疏水は明治期。つまりほぼ人力で猪苗代湖から荒野に水路を引いたことになる。

安積疏水を、もっと知りたい。
これが、そう思う切っ掛けだった。

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