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Voyaginのしくじりと学びの歴史

僕が事業を始めた2011年ごろはOnline Travel=ホテル+フライトのみでしたが、今ではAirbnbもexperienceをはじめたり、ソフトバンクビジョンファンドから資金調達したユニコーン(Klook, GetYourGuide)が出てきたりしたので、ぼくらの事業ドメイン(旅行中のTour&Activity)は市場として認知を得てきたと思います。また、インバウンドの市場も僕が事業を始めた2011年から右肩上がりを続けてきました。

結果的にですが、誰もインバウンド&Tour&Activityに参入していない時から参入して、Product Market Fitを合わせに行って、風が吹いてきた時に受け止められるプラットホームを作っていて、より多く風を受けられるよう最適化し続けたのが最大の成功要因だと思います。

インバウンド&Tour&Activityで起業しようと思った理由

でなぜ当時インバウンド&Tour&Activityで起業しようと思ったかと言うと、時代が読めたわけではなく自分の中に使命感があったからです。

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2007年にインドのダラムサラを旅行した時、ガイドブックなどでも現地情報が全く発見できなかったので、街で見かけたチラシの情報を頼りにいろいろと体験をしました。事前にどんな感じかわからなく不安だったのですが、幸い僕は現地の素晴らしい人々と出会うことができ、ローカルの生活を垣間見れるような素晴らしい経験が出来ました。

その後、外国人と交流するのが好きであったため、誰もがAirbnbを知らない2009年からホストをやっていて、100人以上の旅行者を自宅のリビングに受け入れました。毎日ゲストから「どこへ行ったらいいか?」「何を食べたらいいか?」など聞かれていて、旅行者が現地の人からの信頼できる情報を求めていることが分かりました。

同時期にベンチャー企業でプラットフォームの立ち上げをやっていたので、旅行体験のプラットフォームを作ることで、確実に面白い体験を予約できる世界を作りたいと思うようになっていました。様々なドットが繋がった感覚がありました。

もちろん、作りたいと思ってから多少マクロ的なことを調べました。2011年に大手旅行代理店の取扱高でインバウンドが占める割合が1%であること。提供されている商品も1日パッケージがほぼ全て(誰も旅行者のニーズに本気で向き合ってない。)Airbnbの利用者が急成長していた。などなど。

ただ、マクロの調査は補助の程度で、やりたい思いに溢れていて、市場がどれくらい成長するとかではなく、「Airbnbの次のサービスを作れるのは自分しかいない」と言う根拠のない使命感があったから誰も挑戦していないインバウンド&Tour&Activityに挑戦できました。使命感が力になりました。

始めてしまった後はこんな感じでした。

ダンス・ダンス・ダンス上 P.164 : 羊男
「踊るんだよ」
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

ただ一生懸命に踊っていたら今いる所に辿りついていましたが、振り返ってみれば沢山のしくじりと学びがありました。

せっかくの機会なのでVoyaginの歴史としくじりと学びをシェアしていきたいと思います。最近のスマートなスタートアップの皆さんに比べると相当ドタバタ、無手勝流ですがご笑覧ください。

2011-2012年で最大のしくじり

2011-2012年で最大のしくじりは、以下の記事に取材してもらいましたが、

自分のこだわり(思い込み)が強すぎてProduct Market Fitが合うまで2年もかかっているということです。

エネルギーとプレゼンテーションで、Open network labのインキュベーションプログラムに参加させていただき、その流れでデジタルガレージから資金調達させていただきたのですが、ターゲットが欲しいものではなく、こちらが提供したいものをひたすら作っていてお金を燃やしておりました。

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その上、PMFがあってないにも関わらず、グローバル展開までも試みていました。当時は「いまならまだ世界が取れるはず、今展開するしかない!」と考えて、COOと2人でアジア中を手分けして訪問して、体験の掲載をお願いして周りました。当時インバウンドに特化してFindJPNという名前でサービスを運営していましたが、グローバルサービスにするために2012年の終わりには現在のサービス名Voyaginに変更してサイトもリニューアルしています。

その結果、面白そうな商品があるもののほぼ売上がないサービスとなっていました。

2013年、崖っぷちで踏みとどまる

2013年になると利益も全く出てなかったので、いよいよ資金が尽きそうになりました。藁をも掴む思いで既存VCに追加投資をお願いしましたが断られました。今思えば当たり前の状況ですが当時は絶望に暮れました。

会社が潰れそうな状況になってようやく目が覚めました。

「自分の変なこだわりで会社潰すより、とにかくこのチームで仕事し続けたい。そのためには何でもしよう」と。

しかし、気づいたところでピンチは変わりなかったのですが、そこで奇跡が起きました。なんと勢いで海外展開していたおかげで、アジア展開するというストーリーでシンガポールのVCと政府から資金調達に成功しました。

当時ほぼ予約の入らないサイトであったので、bookingは全てぼくも目視で確認していました。ある日、相撲部屋に見学に行くツアーを予約した人のメールアドレスを何気なくみているとホニャララ.vcとありました。

すぐにドメインをネット検索するとシンガポールのVCのパートナーの予約であると判明しました。これはチャンスと思い、当日は僕自身が相撲部屋をガイドして、朝食に誘って資金調達の相談をしました。

すると、翌週にstart-upのプレゼンイベントあるから参加しろと誘っていただき、シンガポールへ飛び、誘ってくれたVCではない別のVCが興味を持ってくれて、そこから半年後の9月に資金調達ができました。粘っていれば道は開けるという学びを得ることはできました。

当時は英語力もままならなくて会議中は『全集中、水の呼吸』的な感じでリス二ングしてVCと真剣勝負をしていたのですが、自分の能力を超えていたらしく交渉期間中は体に帯状疱疹が出てたりしました。

また、そのお金が着金するまで、2013年の初めくらいから3人の役員は給料を10ヶ月くらい止めていて本当に辛かったのです。家では毎日パスタにアンチョビソース(1食80円くらい)で耐え凌ぎ、オフィスでは炊飯器を設置してご飯と「サバ缶詰」や「いわしの蒲焼き缶詰」を買って食べていました。オフィスが魚臭くなって、インターンで来てくれていた女子大生に注意されたりしていました。

 電気代もケチっていてエアコンは夏のギリギリまでつけることはなく、薄着と風でしのいでいました。備品やモニターなども新品で買うことはなく、常にヤフオクをチェックして中古で賄っていました。この時のオフィスは中目黒の1ルームだったので、ミーティングルームはなく、外部との打ち合わせは常に、近くのカフェ(中目黒LOUNGE)で行なっていました。コーヒー代を単体で払うのが嫌だったので、お昼時間付近にミーティングを設定してランチを食べたあとにそのまま待機していて、ミーティングをしていたりしました。社内のセンシティブなミーティングは、ベランダで行なっていました。冬もコートを着てベランダで、雨が降るとお風呂場でミーティングしていました。

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 今振り返るとすごい状況ですが、当時はこんな状況でも悲壮感がなく部活のノリでなぜか楽しくやれていました。

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2014年、Voyagin号ついに風にのる

2014ー2015年
心を入れ替えて、売れるものは何でも売ろうとして幅広くサイトに掲載しました。すると、同時期に作ったものでも「売れないもの」と「売れるもの」が見えてきました。

売れるものを見てみると「日本でしか買えないようなテーマパークのチケット」だったり、SEOキーワードになりつつあったロボットレストランさんなどが売れていました。

売れているもののデータを見て、その要因を分析して、その条件を満たす商品を掲載し、そこへ集客の努力をしました。すると売れ筋からサイト全体にユーザーが流入して、売れ筋以外の他の商品も徐々に売れ出しました。

じっくり仮説を考えるのではなく、まずリリースしてデータを見て、何が起こっているのか、成功したものの要因を考え、再生産していくサイクルができて、やっと事業として離陸しました。

実はここが一番重要な学びだった気がするのですが、偶然でもいいので風に乗って成功することで、初めて風に乗る方法を理解できるのではないかと。つまり、風に乗ったことがないと風に乗る方法は会得しにくい。ただ、風に乗る方法がわからなくても、多動していると風に乗れることがある。

不思議なことに多くのお客様から感謝のレビューをもらえるようになると、自分か作ったサービスの存在意義を強く感じられるようになって、今までこだわっていたことがどうでもいいように思えたのも不思議な経験でした。

2014年後半は事業もPMFが見えてきたので、大きく成長していくために次の資金調達を考え始めていました。

2013年の流通総額が1000万円程度で、2014年は1億円程度だったので明らかにトラクションが出ていました。そのため、VCの方々との面談もいい感じに進みましたが、その中で楽天とも話し合い、最も高く評価していただき、会議中に過半数の取得も提案いただきました。

他人様からお金を投資していただき会社を経営してたのでいつかはExitをするということは常に考えてきました。

当時を振り返ると、香港、台湾の競合が出はじめてきていました。彼らは中国語マーケットをねらえるという理由で僕らの10倍以上のValuationがついていました。それら競合と将来勝負し続けていくとすると安定的な資金の後ろ盾があったほうがいいなと思いました。

加えて、楽天が持つ国内へのネットワークは僕らが最も強みを発揮していた訪日に必ずプラスに働くはずで、楽天ポイントの会員をVoyaginに流し込めれば、アウトバウンドも、国内ビジネスでも将来圧倒的なポジションを取れるかもしれないという直感がありました。そう考えると、楽天はベストパートナーになりうるかもしれないと感じていました。

ぼくの前職のボスも会社を売却したのですが、彼も「バスは一度しか来ないかもしれない」と言っていたので、直感を信じて過半数を売却する意思決定をしました。

幸い事業的には黒字化していたので長期交渉を耐えられる状況であったのですが、Closeするまでたぶん半年以上かかりました。当時は一生終わらないと思いながらメールのラリーを繰り返す日々でした。

結局、今後大失敗する可能性もあるし、成功する可能性もあるので、双方合意して残りの株式は事業の業績に応じて株価を算定して、段階的に株式を買い取っていくという契約になりました。

2015年夏に楽天グループ入りして以来2018年末の算定期間まで、当時の20倍以上の流通総額まで成長させることができたので、結果的には僕らにとっては良い契約となりました。ただ、コロナが2年早かったらと思うと恐ろしい契約でもありました。

また、過半数取得のタイミングで大きく増資をさせていただいたので、大量に各ポジションを採用し、チームサイズが2倍になりました(15人->30人)。

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2016年、快進撃はここから

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PFMが合っている状態で、資金が使えるようになったおかげで、一気に流通総額を伸ばすことができました。2016年、2017年共に毎年3倍で伸び、2017年には2015年の10倍の流通総額まで成長していました。

詳しくはここのインタビューにあるのですが、試せるものは何でも試しました。

例えば、レストラン予約、新幹線のチケット予約などはお客様からのニーズはありました。ただ、日本人であれば自分で手数料なしでできてしまうことであったので、

「レストランに電話して予約取るだけで数十ドル払うか?」
「新幹線のチケットを購入するだけで数十ドル払うか?」

と疑問に思いながらプラットホームに置いてみて、結果、販売データから学んでいきました。「ミシュランレストランは事前に予約する必要がある。単価が高いから数十ドルは誤差なんだ」とわかったり、「新幹線は売れる。恐らくみどりの窓口に並んだり、日本語でやりとりしたくないんだな」と旅行中の手間を解消することの重要性を想像できたりしました。

訪日旅行者の本当に求めているものなんて世の中にどこにも答えがないなかで、僕らは愚直にデータから世の中にどこにもないインサイトを貯め続け、それを使って再生産していました。

送客実績が出てくるとミシュランレストランさんから外国人用の予約ページとして僕らにリンクを貼っていただいたり、JR東日本からはJRチケットの発券機をオフィスに置かせてもらえ、さらに成長が加速しました。

訪日旅行者向けにチケットの販売で成功したので、シンガポールでもテーマパークのチケットを販売してみたところ、それも爆発的に売れました。その流れで、シンガポールのチケットの在庫があるのだから日本人(アウトバウンド)にも売ってみようと思って試したらそれもうまくいきました。成功事例を応用して、商材、ターゲット、国の組み合わせを変えることで新規事業を作っていました。

ただ全て同じモデルで行けると思いきや、韓国、台湾、香港などでは同じ作戦が通用しませんでした。よくよく調べてみると、渡航者数が昔から多いので既に競合が多くいることがわかりました。このように勝てる国の条件などもやりながら精緻化していき、展開する国の打率を高めていきました。

オンラインだけでなく、地方自治体向けのインバウンド体験商品造成とVoyaginプラットフォームを活用したプロモーション事業もこのころから本格化していきました。

訪日旅行者の集客実績が積み上がってきたことで、地方自治体への送客を相談されるようになってきました。初めは孫請けのような小さい予算から始まりました。認知を広めるPVだけではなく、自治体へPDCAサイクルを回すための販売(実訪問者数)データが提供できたため、広告代理店とは異なるユニークなポジションをとることができました。

実績を積み重ね、信頼を獲得し、今では東京都から直接受注を受けたり、

環境省と国立公園オフィシャルパートナーシップを締結したりと、ドンドン大きな仕事を取れるようになりました。

このように、Onlineでの訪日事業体験という軸ができると、その周辺で応用できる分野が見えてきて、それらが一気に立ち上がってきた時期でした。

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2018- 2019年、走り切り、自走するチームとなる

途中、方向性の不一致があったり、綱渡りなキャッシュマネジメントなどがあり、困難は多々ありましたが、なんとか与えられたキャッシュを駆使して全力で業績を伸ばし、株式の評価期間をのりきりました。

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評価期間が終了する直前(2018年末)くらいからマネジメントメンバーで去就の話が出るようになり、2019年の初めに当時のCOOとCMOが退任しました。

もちろん、僕も退任を考えないわけではなかったのですが2019年も引き続き残るという決断をしました。

理由としてはいくつかあるのですが、主には以下の3つです。
1. 一気に経営層が抜けて自走できるほどチームやモデルが成熟してなかった
2. 交渉の末、楽天から事業に投資できる予算(融資)を確保できた
3. 利益率の高い事業、成長している事業が育ちつつあった

辞めていったマネージャー達に言わせると、1.は親会社のリスクマネジメントの問題であるので、僕らが気にするのがおかしいと言われましたが、創業者なので自分が作った会社が崩壊していくのを見たくないという気持ちがありました。

2、3に関していうと、競合達は既にユニコーンになっていて資金勝負では全然敵わなかったのですが、戦い方次第では生き残る方法を見つけられるかもしれないなという直感があり、軍資金もいただいたので、困難な状況で勝ち筋を見つけることは自分にとっての新たなチャレンジであると腹落ちし、やり続けたいというポジティブな気持ちが湧いてきました。

2019年にまず着手したのは、英語圏向けの事業ドメインの絞り込みです。

英語圏向けのサービスは当初グローバルサービスを目指していたため一旦アジアをドメインとして戦っていましたが、英語でアジアの体験提供は参入障壁が低く差別化が難しいため収益が悪化していました。

競合に資金勝負で勝ち目がなかったので、勝てる場所(英語圏の旅行者に日本での体験と日本人のアウトバウンド)に特化し、グローバルで戦わない宣言をしました。

また、チームサイズが大きくなるにつれてミスコミュニケーションが増えてきていたので、シンガポールOfficeと日本Officeの二拠点チーム体制を日本Officeに一本化しました。残ってくれる社員にはシンガポールから日本へ移住してもらいました。この2つによりチームのリソースを集中できました。

それらリソースを集中させて競合とは異なる戦い方をしました。

具体的には資金力勝負になるPaid広告の割合を減らし、Paid広告以外のチャネルの流入を増やしました。泥臭く人間関係を構築することで新たな流入を増やし、売筋の商品の予約を更に伸ばせました。

また、商品自体の差別化も行いました。すきやばし次郎、京都の3大祭りの観覧席など潜在ニーズがあったものをローカルネットワークを活かして収益性の高いオリジナル商品を作ったり、競合が入ってこない地方のロングテールの体験もB2Bのおかげで増やすことができ、着実に予約を積み上げました。

全チームの努力の結果ですが、圧倒的に資金量がある競合が同じマーケットに入ってきた状況でも、2019年に売上、利益を大幅に増やすことができたことは、チームとしても大きな自信となりました。

この頃から戦い方の方向性が見えてきたので、僕は現場にほぼ口を出さず、各チームに必要なメンバーを揃えるために採用(正社員は50->70人)を行い、組織のストラクチャーを整備し、ミッション、ビジョン、バリューの浸透、OKRのファシリテーションなどを環境整備を行いました。そして、ねらい通りに2019年中にある程度自走できる体制ができました。

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2020年については前回書いた通りです。細かいところはいくらでもまだ書けるのですが、大きな流れは書けたと思うので一旦この辺で終わろうと思います。

今のところコロナの影響が続きますが、Voyaginと楽天が本当のシナジーを発揮するのはこれからだと思っています。Voyaginで楽天ポイントを使ったり獲得できる世界が来れば、アウトバウンドは爆発的に伸ばせるはずだし、今まで力を入れてこなかった国内旅行マーケットも非常に大きな可能性があると思っています。

創業者としてはこの新しい歴史を見れることを楽しみにしています。


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