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愛すべき口の悪い二人からのお守り

私も含めて、私のまわりの人々は基本的に穏やかな言葉を使います。
少し怒っているときだったとしても。

でも、二人だけ、近しい人の中で、(愛と信頼の気持ちをこめて)口の悪い男性と女性がいます。

男性は20年くらいのおつきあい、女性は30年。
二人とも同世代。

数年前に気付いたのですが、お互い面識のないこの二人は少し似ています。

お世辞をいわないところ。
おかしいものはおかしいと言うところ。
それは目上の人にでも。
芯があって、愛もある人たち。
そして、ずっとではないけれど、時々驚くほど口が悪いところ。

自分の中にない言葉。
あまり耳にしたことがない言葉。
この二人からそんな言葉が出てくると、なんだか面白くて可笑しくて、たまに思い出してはくすくす笑ってしまいます。
多分、二人とも、そんなこといったっけ?
と不審な顔をしそうな気がします。

一年に数回、とても苦手としている人に会わなければなりません。
色々なハラスメントてんこ盛りの人。

その人と絶対に二人にならないこと。
もし何か失礼なことをいわれてもただの雑音と思って聞き流すこと。
そう心にきめて行こうと思っても、行く前から、呼吸は浅く、何故か臓器がプラスチックにでもなったかのようにうまく酸素が行き渡らなくなるような感覚があります。
ヨガをしたり、軽い運動をしてもだめでした。

何かお守りになるような言葉はないかな、と思ったとき、二人の言葉を思い出しました。

「おとといきやがれ」

「好きでもないヤツに好かれるくらいなら、嫌われたほうがまし」

この言葉を日常的に使う人がいるんだ!
そんな割り切り方ができるんだ!
と驚きました。

もともとの性質なのか、受けてきた教育なのか、皆に平等に、多少自分が我慢しても、全方向なるべく良き人であるように、と思い込んできた(できている、できていないは別としても)かつての私は小さくないカルチャーショックを受けました。

昔もっていた自分のお守りの言葉は、
「自分の内側は大丈夫」
でした。

高校生のとき、はじめてのアルバイト先の店長さんが機嫌のいい日と悪い日の差がとても激しくて。

いつもアルバイト先に行く前に自分の中で何回か繰り返してから行っていました。(懐かしい)

当時はなんとなく落ち着くから使っていました。
でも、今思うと、自分の中の柔らかく大切な部分は守られるけど、外側が多少のダメージを負う感じがします。

なので、右のポケットに、
「おとといきやがれ」

左のポケットに、
「嫌われたほうがまし」

をいれることに。

本当にただのイメージです。
が、この言葉のお守りを ポケットに入れておくと、盛り塩をして、好ましくないものを門前払いしている感じがします。

そして、驚くことに、もう何年もその暴君(仮名)に会うたびに悩まされていたひどい頭痛が起きなくなりました。

イメージの力って大きいな、と思います。
きっと、その二人の言葉だけでなく、関係性からも力を貰っているのかなと思います。

いつか、二人に、お礼とともに話してみようと思います。
どんな反応(言葉)が帰ってくるのかも、少し、かなり、楽しみです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

心地よい眠りが訪れる日でありますように。


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