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吾輩は負け犬である

吾輩は負け犬である。名前はまだない。

負け犬になるという決意

私は負け犬だ。昨日から負け犬マインドを持つことに決めたのだ。

きっかけは、昨晩観た映画「ビッグ・リボウスキ」だ。
風変わりな映画を撮る監督コーエン兄弟の作品で、かいつまんで言うと、ダメ人間がたくさん出てきてドタバタやる映画である。

ビッグ・リボウスキ Filmarks

この作品に出てくる男はみんな負け犬だ。準主役のデブなんて、誘拐の身代金引渡しで現金の代わりに汚れたパンツの詰まったカバンを渡し、それにより怒った誘拐犯から切断された人質の指が送られてきても、「Oops」と意に介さない。

漢である。細かいことを気にしないこの姿勢、小心者の私としては非常に憧れる。

そこで考えてみた。何がこの漢を漢たらしめているのか。たどり着いた結論は、この漢が負け犬だからということだ。失うものがなく、誰からも何も期待されていない。つまり、何も気にしなくてもよいご身分なのだ。

何も私が勝ち組だというつもりはない。しかし、それなりに失うものはあるし、周囲の期待(さして高くないにしても)に応えなければいけないという気負いもある。それらが重荷になって思考は鈍化し、腰も重くなっている。笑顔でいる時間も短くなり、常に何かを気にしている。幸福から遠ざかっている。

負け犬になろう。「気にすることが少ない人生が幸福な人生である」と誰かが言っていた。大賛成である。

気にすることが少ない人生が幸福な人生である
発言者不詳 

とは言え、ビッグ・リボウスキのデブ(以下、デブ)にも悩みはあるだろう。映画では端折られているが、恐らく経済的に楽ではないのではないだろうか。確か失業者という設定だった気もするし。それは嫌だな、どうしよう。

折衷的負け犬

何事もバランスが肝心。ということで「程よい負け犬」を目指すことにした。人生にプラスな負け犬要素だけ取り入れ、負け犬であることのプロコンのコンだけ取り除くのだ。

これは非常に簡単だ。要は他人の目を気にせず、リスクに肝要になるだけ。文脈なく太字のところだけ見たら、負け犬の定義とはおおよそ思えないが、この際仕方がない。

「仕事はしっかりとし、遵法意識を持って生活するが、必要以上に他人の評価を気にしすぎず、冒険心を持ってリスクを恐れずに行動する。」
そういう負け犬に私はなりたい。

漢らしくねぇ。。。

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