シン・エヴァのストーリー解説&感想

#エヴァ
#シン・エヴァンゲリオン :||

2012年にQを視聴後「???」となりながら映画館を出たのはいい思い出…
あれから早8年、エヴァンゲリオンの歴史に幕が下りました

いやー、2時間30分あっという間でしたね。
見終わってから一人で映画のことを考えて眠れなさそうなので、備忘録代わりに思いついたことと感想をまとめようと思います。(ちなみに、アニメ版、旧劇場版、と新劇場版を2,3周して、様々な方の考察を拝見させていただいた程度の知識なので、細かい間違いなどあるかもしれません。)

まずはネタバレない範囲で。

ここからは映画とは関係ない話が続くので、映画の内容だけでいいんだよ、という方はネタバレ注意まで飛ばしてください。

僕の中で、「エヴァンゲリオン」というコンテンツは、他のセンセーショナルなアニメや漫画と比べて、少し異質な位置づけなんですよね。

これは、映画の予告編からもわかってもらえると思います。
他の映画だと、予告を見れば大体内容が推測できますよーといった内容の予告編が多いです。
しかしエヴァの予告は、
https://www.youtube.com/watch?v=d8mf0qDD3Qg

見なくてもわかる通り、見ても本編の内容はわかりません笑
しかしそれでも僕らの想像力を駆り立て、作品への興味を誘います。
この少女は誰なんだ、とか、なぜエヴァ同士が戦っているのか、など、見事に広報の思うつぼに入ってしまうわけです。
このような予告はエヴァにしかできません。他の、たとえばディズニー映画などが同じような予告をしても「なんだこれ?」と逆効果になるでしょう。(もしかしたら案外ウケるかもしれないけど
予告もエヴァンゲリオンの世界の一部なのです。

僕らもそれをどこかで理解しているので、映画でエヴァの予告が流れても「なんだこの予告!」となることはなくヱヴァの予告であることを認識できるのです。(別の意味で「なんだこの予告!」となったことはありますが)


じゃあどこからこんな違いができるのかというと、それは世界観(作品性?)の違いです。

もちろん異質ながらキャッチーなデザインや懐かしくも耳新しい音楽のおかげでもありますが、それらは世界観を構成するものでしかありません。

エヴァの世界観の核になっているのは「人間のこころ」です。

聞き馴染みのない単語が列挙され、人外の化け物とロボットが戦う中で、世界の危機に比べたらどうでもいいようなことで悩み、私益を優先して互いに衝突し、そうすることでしか分かりあうことのできない、どうしようもない人間がそこにいます

使徒と戦うのは正義に燃えた熱血漢でもなく、含蓄に富んだ賢者でもなく、超人的な英雄でもなく、不完全な人間です。
それもさらに不完全な思春期の子供です。
(不完全だからこそ、完全な存在になるための「人類補完計画」が生まれたのですが)

エヴァンゲリオンは、超人的ロボットによる爽快アクションではなく、至ってヒューマニズムなものだと言えるのです。
だからこそ、僕らはエヴァのキャラクターの行動原理である「こころ」を理解しようとするのです。

また、重要なポイントとして「世界観がとても難解」であることがあげられます。
エヴァのどのシリーズを見終わっても、一回切りですべてを理解することは不可能に近く、むしろ「何が言いたいの?」という感想が出ます。(特にアニメ版の最終回は初見だと「は?」となります。)
この”もやもや感”が異常に多いのです。

すなわち、キャラクターの心を理解しようとし、理解不足のもやもやを解消するために、僕たちはこの作品を自らの中でどう定義づけるのかを考えるのです。
(結果的に「考えない」という答えもあり得ますが、それは「考えた上でわからないからやめる」と同義です)

この「作品の定義を考える」という営みは、エンターテインメントというよりむしろ哲学の領域に近いです。
哲学は、他者の思想を学び、その思想の自らの中での位置づけを行う営みであるからです。
そのため、エヴァンゲリオンという作品群は他のコンテンツとは異質な存在感を放っているのと言えるのではないでしょうか。

はい! 長ったらしい前置きは置いといて、今作のストーリーを見ていきましょう!

【以下ネタバレ注意】


<今作のテーマ>


今回の「シン・ヱヴァンゲリヲン:||」(以下シンエヴァ)では「過去との決別」が大きなテーマにありました。
それは、キャラクターたちの過去の清算でもあり、庵野総監督の「過去(=エヴァ)」との決別というメタ的な考え方もできます。さらにメタれば、自分たち観客と「過去(=エヴァ)」の決別とも言えます。見終わった以上エヴァは過去のものになるのですから。

過去と言えば、物語終盤のこれまでのエヴァ(テレビシリーズ・旧劇場版含め)のタイトルが流れるシーンめちゃくちゃよかったですよね! いやー良い演出だ。
見た瞬間に、「あ、もう本当に終わるんだ」と悟って少し寂しくもなりましたが笑

ともかく。
さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」の言葉通り、エヴァに関わる人はもれなく過去と決別を行うわけです。

<ストーリー>

テーマを把握したうえで、ストーリーを見ましょう。

まずは冒頭12分の0706作戦。二号機を修理するためにコア化してしまったユーロネルフの浄化を行うヴィレの人たち。ネルフから邪魔が入るものの、マリの活躍によりなんとか作戦が成功した。

ここで気になったのは、二号機を直す時に「JA○○~」という言葉が聞こえたことですねー
この新劇場版の世界にも、JA(ジェットアローン)は存在していたってことでいいんですよね!
まさかJA(農業協同組合)じゃないでしょうし…
ただ、アニメだと日本で建造されていてさらに計画は失敗に終わったというのに、どうしてユーロネルフに部品があったのでしょう…
新劇場版の世界では、バチカン条約があるから、日本では開発できなかった、とか…?

あ、どうでもいいことですけど、あとマリがエッフェル塔を持って攻撃するシーン、よく聞いてみると
Je excuse-moi, Effel.(ごめんね、エッフェル塔)
と言ってますね。
これはフランス語ですが、果たしてマリは何か国語しゃべれるのでしょうか…

そしてタイトルを挟んで、Q直後の映像。
シンジたちは謎の男ことケンスケに連れられてトウジたちが集まる村へ移動。
アヤナミレイ(仮称)はトウジの家で労働や人との交流を進めていく中で、どんどん人間らしくなっていく。
シンジはアスカと同じくケンスケの家に居候するも、カヲルの死を引きずって誰ともコミュニケーションをとろうとしません。しかし、周りの人はそんなシンジにも優しく接します。

この村の暮らしはQで破壊された視聴者の脳を癒すオアシスでもありました。
アヤナミがもうとにかく可愛い! 
あ、アスカがレーションをシンジに無理やり食べさせるシーン、異常にぬるぬる動いてましたよね笑 (個人的にはアイドルマスターの映画でのアレを思い出した)
なんとなく、ここがターニングポイントの気がしますね。
今までは何も食べないで死んでもいいと思ってたのに、無理やりに食べさせられて、食べ物の味を思い出してしまった。空腹を満たして生きることの欲望を思い出してしまった。

これは結構穿った解釈ですね笑
個人的に、何も食べない状態よりも、少しだけ食べたほうがお腹空くよねと思ったのでこう解釈しました。
この後で泣きながらレーションを食べるシーンがありましたが、あれはたぶんこの時食べさせられてなかったら、食べてなかったんじゃないでしょうか…

レーションを無理やり食べさせられ生き残っちゃったシンジ君は家出する。またかよ。
同じころ、村の生活に慣れたアヤナミが、自らの名前を付けてもらうためにシンジ君のもとを訪ねる。
アヤナミはシンジに何度も拒絶されるが、諦めずにシンジに歩み寄ろうとする。シンジはアヤナミや村の住人が自分に優しく接する理由を問う。「好きだから」という返答にシンジは涙して、少しずつ回復していく。

ここは破との対比っぽいすね。
破でシンジは綾波を助けた。シンエヴァではアヤナミがシンジを助けた、と。

ただショックだったのは、「綾波たちはシンジに好意をもつようにプログラムされている」という事実です。
ちょっと序・破を見るときの目線が変わっちゃいそう…

シンジも立ち直って、この村での生活が続くかと思いきや、ネルフでしか生きられない体だったアヤナミは活動限界を迎えていた。シンジから「アヤナミ」という名前をもらった瞬間、シンジの前でLCLと化す。そしてシンジはアスカ達ヴィレに同行することを決めた。

一瞬プラグスーツが白に戻ったから「浄化された?」と思った瞬間、ボシュッ!とLCLに。
ビビりすぎてペプシ飲んだらズゾゾ、とまぬけな音が。周りの人、ごめんなさい。

さておき、この出来事がきっかけでシンジはエヴァに乗る決意を固めるわけです。
ここがちょっと飛躍してるかなーと思ったので僕の解釈。
まず、シンジはこのちょっと前S-DATをアヤナミから渡してもらいました。このS-DATはもともとゲンドウのもので、ほぼ捨てるつもりだったものがシンジに渡ったんですね。「拾ったものは返さなければ」というアヤナミの言葉を思い出してシンジはゲンドウと対峙する決意を固めたのだと思います。
戦うためや、守るため、また褒められるためでもなく、ただ父と話すために。
その方がこの後のシンジの行動に則している気がします。

戻ってきたシンジはサクラちゃんに怒られる。おいそこかわれ。
同時にヴンダーの真の役割――大地のコア化以前の生物種の保存が判明する。ミサトさんの前には加持さんも栽培していたすいかが。
ミサトさんがシンジ君に冷たかった理由が判明。
同じくして、アスカとマリがシンジに接触。シンジはアスカが起こっている理由を無事当てることができた。その後、ヴンダーは13号機の起動および人類補完計画を阻止するために発進する。

たぶん、それまではなんだかんだシンジ君を気にかけてたアスカも、ここで完全に吹っ切れたと思います。ちょくちょくシンジを気にかけてたのは、恋愛感情ではなく、自分のプライドが傷つけられたまま勝手に野垂れ死んでもらったらムカつくからでしょう。そう考えないとシンエヴァはただのNTRものです。
そして何気に重要シーン。「だーれだ」とマリがシンジに問いかけるところですね。まさか伏線だったとは。

そうこうしている間にヴンダーが発進。
リリンが立ち入りできないほどL結界密度の高い南極に入ったところで、冬月率いるNHGというヴンダーによく似た戦艦に襲撃を受ける。冬月先生声変わりました?
ヴィレの目的はあくまで計画の阻止なので迎撃に割く時間は無く、ネルフ本部へと急ぐ。

ここら辺のヴンダーの戦闘はめちゃくちゃ良かったですね。戦艦ならではのギミックを使ったり、戦艦ものに付き物のじわじわ壊されていく絶望感だったり…良い!
というのも、Qでのヴンダーの戦闘ってあんま好きじゃないんですよねー。なんか、急に船出て来て戦ってるけど、その戦いエヴァでもできたよね? 船じゃなきゃだめ? 僕エヴァ見に来てるんだけど? っていう気持ちが出てちょっと冷めたというか…。 
ですが、今回はめちゃくちゃ良かった!

そうしてなんとかネルフ本部が見え、ミサイルを撃ち込む。爆撃で空いた穴から13号機がまだ起動していないのが確認できたため、アスカとマリに13号機停止を託す。

今回の中でアスカの初戦闘シーン。あんたバカ?と聞きたくなるほど膨大なエヴァmark07に対して一度に1,2体くらいしか破壊できない不安が徐々に募りますが、結局mark07君が一つにまとまって攻撃してくれたのでマリと手のひらを合わせて強そうなATフィールドを作り出して一気にまとめて撃破。

疑問なのはあれだけの数のエヴァ達はどうやって作っていたんだろう…
エヴァインフィニティに変化した人類を改造した?

その後も一難あったが、なんとかアスカと新2号機は13号機の元につく。13号機のコアに槍をぶっさしたが目の前にATフィールドが現れ止められる。そのATフィールドは2号機のものだと分かったアスカは黒いTENGA…ではなく使徒の侵食を防ぐ封印を解き、使徒化を果たす。そうして自らのATフィールドと2号機のATフィールドを中和して槍をコアに刺す!
…寸前で13号機が起動、一転攻勢によりアスカごとエントリープラグを食べて再び13号機は擬似シン化する。

ここで2号機がATフィールドを出した理由について考えてみます。13号機を恐れている、という風にアスカは語っていましたが、おそらく裏でゲンドウが操っていたのではないでしょうか。
今回のゲンドウはネブカドネザルの鍵と呼ばれるアダムスの幼生を入れることで、アダムスの力を得ています。2号機、というより初号機以外はアダムスまたはそのコピーをベースに作られたエヴァなので、アダムスの力を持つものは自由に操ることができます。実際にアニメ版ではアダムの魂を持つカヲルは2号機をエントリー無しに動かせていました。
ゲンドウはアスカを使徒化させるために、2号機にATフィールドを発動させるよう仕向けたのだと考えます。
ではなぜアスカを使徒化させたかったのかというと、インパクトの条件に使徒とアダムスもしくはリリスが同化することがあるからです。Qでカヲルが第一使徒から13使徒に堕とされ、そのタイミングで13号機が覚醒することで13号機が第1使徒=アダムスとなりました。そしてアダムスとなった13号機が使徒となったアスカを食べればインパクトの条件が満たされるわけです。

ヴンダーはNHG三機に追い詰められ、そこにエヴァmark09がヴンダーの制御を奪ったことで絶体絶命に。ゲンドウはヴンダーの甲板でミサトたちを煽りに来る。リツコが有無を言わせずゲンドウに発砲するとダサいサングラスの下は空洞だった!(ちょっとこれは説明できない)
どうやらアダムスの力を得たみたいだった。そこにシンジが現れるがその瞬間ゲンドウは13号機とヴンダーから奪った初号機を連れてどこかへ行ってしまった。

力を手に入れたよとばかりにウキウキで登場する親父。この時に気づいたのですが、新劇場版ではリツコとナオコがゲンドウとチョメっていたのは描写されないんですよね。
尺などの関係で描写が省かれたとしてもいいんですが、僕は新劇場版の世界ではゲンドウは不倫していないと考えます。これは考察とは言えない儚い願望ですが。
この後の話につながってくるんですけど、このゲンドウっていうのは孤独な過去を過ごしたガリ勉野郎なんですよね。そしてユイに出会ったことで人と触れ合うことの素晴らしさを知ったが、ユイがいなくなってしまってから半ば自暴自棄になってユイにもう一度会うために奔走する――と。
ここまで詳細にゲンドウの心理が描かれたのは初めてなんですよね。だから、ここで赤木親子を出してしまうと軸がぶれてしまう気がするんですよね。ま、そのブレも含めて人間らしさとするのかどうかは個人の判断ですが、アニメ版などでやったから新劇場版はせめてユイに一筋なゲンドウで会ってほしいなー、と思います。
もしかしたら庵野総監督もそう思ってリツコ・ナオコのゲンドウとの描写を省いたのかもしれません。そうだといいな。

どうやら向かった先はマイナス宇宙という負のエネルギーがなければ入れない空間だった。シンジはマリに送ってもらい、自分が初号機を操縦してインパクトを止めるとミサトに進言する。
シンジがエヴァに乗るということでサクラやミドリ(ピンク髪)は家族を奪われたトラウマからシンジに銃を向ける。サクラは私の言うことを聞かないシンジさんは死んじゃえ!と見事なヤンデレムーブで発砲。
その瞬間ミサトがシンジを庇って銃弾を受けた。一同にシンジがエヴァに乗っていなければどっちみち全滅していたことを説明して、シンジを送り出した。

一番感動したシーンですね。
「初号機パイロット碇シンジ」のところも激熱展開ですが、物語的に大事なのはこの次の銃のシーンですね。
実はミドリの銃は中盤でいかにも伏線ですよという風にでていました。「銃が登場する物語では必ずその引き金は引かれなければいけない」というのは物語の絶対的な条件ですのでもちろんそうなります。ここで銃を撃ったのがサクラでもミドリでもどっちでもいいんです。大事なのは、碇シンジが引き起こしたニアサードインパクトの罪が贖われたということです。覚悟をキめたシンジ君は必要とあらば撃たれる気でいたと思います。それが彼にとっての「落とし前」の一つでした。
しかし、ミサトはシンジが悪いなんて全く思っていません。その結果ニアサードが起きたとしても。それは監督者である自分の不行き届きという罪である、という思いがずっとあったのでしょう。だからシンジの代わりにミサトが銃弾を受けた、と。
実際にはシンジを庇ったのは反射的な行動なのでしょうが、この銃弾にはそういうメタ的な意味が込められていたのだと考えます。
シンジの罪をミサトが庇う、そのメタファーとして。
…僕もサクラちゃんに撃たれたい

そしてマイナス宇宙に突入し、マリが「必ず迎えに行く」とシンジに約束をして二人は別れる。シンジは初号機のエントリープラグに移動すると髪が長く伸びた綾波が。綾波と交代してシンジはエヴァを動かす。そしてカシウスの槍を持ち、ロンギヌスの槍を持つ13号機と相対した。第三新東京市、ミサトの家、2-Aクラス…と舞台がどんどん切り替わり二人は戦うが、初号機と13号機は表裏一体と知り、シンジは戦うことが決着につながらないことに気づく。ゲンドウはカシウスとロンギヌスを合体させて人類補完計画を進める。

普通に熱い展開ではあるんですが、シンクロ率∞は正直好きじゃないかもです。
ゲンドウ戦ではシンジが物分かり良すぎて、成長したなあただあのころの熱いシンちゃんもすきだったなぁと想いを巡らせていました。

ミサト達は槍が二本とも使えなくなったことを知り、人類補完計画を阻止するためにヴンダーを使って第三の槍を作ることを決める。それと同時に計画はすすみ、地上では巨大な綾波が現れていた。一方マリは冬月とエヴァmark10,11,12と戦う。第三の槍は完成間近となり、最後はミサトだけが残ってシンジに槍を届けるだけになった。8号機とmark09,10,11,12のオーバーラッピングが完了したマリはミサトを援護しに戻る。

相変わらずリツコさんが有能。マヤの「これだから若い男は…」がまさか布石だったなんて!!
結局疑問が残るんですが、マリと冬月の話やゲンドウの回想からマリがゲンドウたちと同世代なのは分かったんですけど、じゃあなんでマリは年をとらないんでしょう。エヴァの呪縛、というのももちろん考えられるんですが、エヴァの呪縛に掛かっていたアスカは呪縛から解放されると28歳のえちえちお姉さんに早変わりし(て僕を楽しませてくれ)ました。しかし、マリはずっとえちえt同じ年齢のままのようです。また破の序盤で「エヴァの操縦は実際にやると難しい」と初めて操縦するかのような口ぶりだったので呪縛に掛かっているとは考えづらいんですよね。まさか、冷凍保存されていた、とか?

ゲンドウを中心に補完計画が進み、ゲンドウの心理が吐露される。一人だったこと、知識とピアノだけが生きがいだったこと、マリに出会って人と過ごす時間の尊さを知ったこと、マリを失って失意ののち人類補完計画を遂行すると決めたこと…。シンジはゲンドウが昔の自分と同じだと気づき、ゲンドウが己を弱さから目を背けていたからユイに会えないのだと言う。ゲンドウはシンジを恐れていたことに気づきシンジに謝罪するとゲンドウの前にユイが現れた。ゲンドウは列車(=補完計画の中心)を降りたため、補完計画はカヲルが代表者となって進行する。

「大人になるっていうのは他人と傷つけ合わないちょうどいい距離を見つけること」というヤマアラシのジレンマの話がエヴァの中では何度か登場します。これまで、シンジは典型的な「子供」でした。他人とコミュニケーションをほぼ全くとらないか、近寄りすぎてお互いに傷つくか。
そうして他者に好意を持って近づいた結果がすべて裏目に出ていたため、他者との交流を恐れていたのです。
そしてゲンドウの弱さも、他者――特にシンジ――と本心でコミュニケーションをとることに臆病になっていたことです。だからシンジは「僕と同じだ」ということを感じた。S-DATの話でいえば、二人はイヤホンという外界と隔絶する機器を以て他者とのコミュニケーションを拒否していたのです。
ただ「大人になる」にはいつまでも拒否するだけではいけません。いつかは、人と交流しなければならないのです。
ゲンドウは、サングラス(自分の本心を隠すことのメタファー)をかけて他者と接し、ついには人の目を失い、目を合わせて会話することができなくなりました。
シンジは、様々な経験を乗り越えて他者を、ひいてはゲンドウを恐れなくなりました。そしてシンジはゲンドウに歩み寄ったのです。
その末に、ゲンドウは自らの弱さを克服し、他者を恐れなくなったことでユイが見えるようになったのです。(以前はシンジを拒否することでシンジの中にいたユイも拒否していた)


巨大な綾波の守りを突破してミサトはシンジに第三の槍(=ガイウスの槍=ヴィレの槍)を渡す。シンジはヴィレの槍を使って計画を阻止。エヴァがなく、巻き戻しもしない世界を望んだ。槍を使う際、自ら人柱になろうとしていたシンジは、ユイに止められた。そしてユイとゲンドウは二人で槍を使ってシンジを助けたのだった。

そのためのユイだったのか!とびっくりしたシーンですね。
ここではユイだけでなくゲンドウもいました。「親子」という生命の流れも、この作品にちりばめられていました。(ex.碇家、加持家、トウジ家、アスカと母親、トウジを訪ねた妊婦、妊娠した猫)
前のシーンで「大人」となったゲンドウが息子を救うというのもぐっときますよね。もちろんユイのそばにいたいという意味もあったのでしょうが。そう考えると、全てのシリーズでユイがシンジを助けることはたくさんあっても、ゲンドウがシンジを助けるのは初めてですね~。

エヴァのない世界。ふむ。これはどこまでの改変だったのでしょうか。
僕の考えでは、エヴァ=アダムスとリリスのコピーということから、白き月・黒き月が地球に飛来しなかった!という世界ですね。
エヴァンゲリオンは使徒迎撃のためにアダム・リリスのコピーを素体に作られた兵器です。したがって、エヴァが作られないようにするにはアダムとリリスがいなくなる必要があります。そのため、アダムとリリスが乗ってきた白き月と黒き月なんてなかったんや! ということです。
そう考えると終盤の実写ベースのシーンの意味が見えてきます。
白き月と黒き月がないような世界に設定した場合、エヴァの世界は限りなく我々の世界と同じようになった(=背景が実写)ということです。ただ、そこに暮らす人々はエヴァの世界の元住人なのでアニメタッチで描かれているのではないでしょうか。

シンジはアスカ、カヲル、綾波からこれまでの話を聞き、別れを告げる。そしてエヴァンゲリオン13号機、0号機~mark07までのエヴァを消す。そのままマリを待つシンジ。マリはシンジの存在が消える寸前で間に合い、8号機~mark12までのエヴァを消し、すべてのエヴァンゲリオンに別れを告げた。
そして、宇部新川駅でシンジとマリは出会い、駅の外へと駆けて行った。終劇。

正直なことを言うと、アスカが28歳の姿になったときの格好が刺激的過ぎてちょっとここからの記憶が曖昧なんですよね……。いやもちろん局所局所では覚えてるんですけど…。アスカとカヲルと綾波の順番がごちゃごちゃになっているかもしれません。もう一度見に行った時に修正します。

アスカとシンジは、お互いに昔は好きだったと告白。切なくて美しいシーンです。一人で奮闘するアスカが寂しいですね。そしてマスコットからでてきたケンケンと結ばれる、と…。
ケンケン……今日ほどお前が憎いと思った日は無い……!

渚総司令ってことはヴィレの総司令だった、てこと? ゲンドウ不在時の臨時ネルフ総司令だったのかな。ちょっとアスカのせいで注意散漫でしたすみません。それでも見逃さなかったのが、「カヲルはゲンドウに似ている」ということ!
まあシンジに似ているんだったらそらそうよね。
最後の駅のシーンで、綾波レイとカヲルと思しき二人が向かいのホームに見えました。最初は脳が破壊されかけましたが、上映後必死に考えると、カヲル=ゲンドウ、レイ=ユイという図式がここにはあてはまるのです。本来なら世界改変の人柱となったユイとゲンドウですが、その魂は現世でもくっついたよパティーンですね。

綾波とのシーンは他の二人よりメタっぽかったですね。やはりシンジと綾波はエヴァを象徴するものとして描かれているのでしょうね。この二人があってエヴァが始まったわけですから。

そしてシンのヒロインもとい真のヒロインこと真希波マリイラストリアスさん。通称イスカリオーテのマリア。この人がシンジとくっついた理由もなんとなく推測できそうですね。レイを選ぶとレイ=ユイのクローンなので親からの巣立ちということにならない。アスカを選ぶと、過去との決別にならない。所詮元カノ。というわけで消去法でマリになったと。メタ的に見れば、シンジ・レイ・アスカというエヴァの主人公格がだれもくっつかない=エヴァの終わりとも見れますよねー

〈まとめ〉

というわけで、シン・エヴァのストーリー解説・感想でした。
何度も見て考察を深めていきたい良作でしたね。入場者特典が変わったらもう一度見に行こうと思います。
それではここまで読んでいただきありがとうございました!

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