首をもたげる希死念慮

この記事を書いているのは、8月25日のことだ。
今日の私は絶賛ピンチを迎えている。
29日までに提出のレポート二本にまったく手を付けてないのだ。
(一本は初回提出を終え「書き直し」の段階、もう一本はまったく手を付けていない状態だ。)
 
まずお盆中に本誌の制作のみを行ってしまったのが運の尽きと言えよう。
お盆の間にある程度レポートの題材さえ決まっていればこんなことにはなっていないのだ。(私という人間はいつもいつもこうなのである。)
 
おまけに今日は、文学フリマのwebカタログとブースの発表日でもある。
そうだ。当初BL小説を書こうとしていたので、ブースがBLのままなのである。
BLブースの端っこで私はこの同人誌を売らねばならないのである。
あとがきを含む4記事がまだ未執筆なのに。
おまけに何かと理由をつけて、webカタログの更新を怠っていたので、BL小説のあらすじが載っているのである。
 
さあ、これを読んでいる皆さんなら、もう私の気持ちがわかっただろう。
「まったくもう死んでしまいたい」
 
今日の私はあらゆる「締切」や「やること」や「to do」が頭を占めているにも関わらず、希死念慮に苛まれて布団からでることもできなかった。
薄い夏布団にくるまってただひたすら猫の動画を見ていた。
 
境地に立たされると人は、すべてを投げ出して「何もしたくなくなる」のである。
それでも結局机に向かって、茫漠たるこの「不安」について書き出してしまわないと、形をとらえることのできない不安や恐怖は、底の見えない深淵のようである。
ひとまずこうやって「お気持ち表明」を行うことで、私は正気を取り戻した気になる。
 
ひしひしと罪悪が胸を穿つ。BL小説で登録しているにも関わらず「B」の字の一つもないこんなエッセイを書いていること、春季に散々「次こそは単位を取るぞ」と息巻いていたのに、結局私はまた全然単位を取れそうにないこと。「生活」の中で「書く」ことの営みをやるのは、まったくもって難しすぎること。
 
そう、この本の題材は、「生活の中で芸術をやること」なのである。
私は「締切」という事象によって、またそこに直面しているのだ。
情けなさすぎるので、読者の皆様におかれましてもどうか笑ってほしい。

通信の大学生をしていると、どうしてみんな私と同じくらい働いているのに、勉強ができて、レポートが書けて、単位が取れるのだ、と思うし、学内チャットには往々にして生真面目な人たちが多く投稿しているので自分だけが「できない」劣等感を感じる。
「他者と比べない」なんて偉そうなことを説きながら、追い込まれると私だって、人と比べて泣く思いをいつもしている。
 
ひとまず今は、これを書いたことで、「名前のない」不安が「名前のある」不安になった。
それを最大の収穫とする。(そうでないとほんとうにつらいのである。)
 
まずは、書き直しの方のレポートを直して提出してしまう。もうひとつの方は「エイヤ」っと出してしまえば、最終提出があるから未来の自分に期待ができる。(未来の自分も泣いている可能性は否定できないが)
 

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