良い尽くし方と悪い尽くし方についての考察

最近
「ハイスペック男子」と
「大人あざとい女子」というキーワードが
自分の中で超絶、違和感で。

このインターネット上という
フィールドで戦う以上、
そういうアーバンチックな用語が必要かな
と思っていたけれど

私、元々田舎者だし、
そういう虚構にまみれた世界が
全然好きじゃないの。

都会のハイスペック婚活パーティーに
参加するくらいなら、
一人で木陰で静かに読書でもしていたい感じ。

それでね、
なぜハイスペック男子が良いかというと
自分が尽くしても決してそれに依存しない
高い精神性を持った男性が好きだから、
ということに気づいて。

フォーカスすべきは
実は私は「尽くしたい女」だってこと。

近年の恋愛論って
「男は尽くす、女は尽くされる」が
恋愛成功の絶対法則というか
宇宙の法則みたいに言われているでしょ?

それで尽くす女性は
彼に依存しているとか
嫌われたくない不安から尽くしているとか
尽くすことで自分の価値を感じているとか
言われているけど

いやいや、
普通に「与える」っていうことに
喜びを感じるタイプなんです、私。

世話好きなのかな。

世の中に「尽くす女、尽くされる女」
のどちらかが存在しているんじゃなくて

どちらかと言えば尽くしたい
どちらかと言えば尽くされたい
っていうグラデーションがあって
そのグレーゾーンにいる女性がほとんどだと思う。

それで私は尽くしたい寄りの女ということ。

いや、もしかしたら
尽くされたい女性も
彼の「尽くしたい欲求」を叶えるという意味で
尽くしているのかも。

女性って結構尽くしてるね。笑

でも「やって良い尽くし」と
自分のために譲ってはいけないライン
というものが存在すると思うの。

そのことについてしばらく考えてみたいな。

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