諦める自由と諦めない自由

私は23歳の時
ストレスで体調を崩して休職していました。

それを心配した祖父母が
生活のリズムを保つためにも
朝7時から仏壇でお経を読むことを
一緒にしなさいと言いました。

(それがお経を唱えることでなくても良いけれど
 朝起きる習慣をつけるために
 すべきことをしなさいという意味です)

私はすごく面倒だと思ったけれど
両親の代わりに私に愛情を注いでくれた
祖父母だったので
これは孫孝行だと思って
しばらく毎朝その習慣を続けていました。

ある日の夜
私は風邪をひいて発熱してしまったので
夜のうちに祖父母の部屋に行って
明日の朝は一緒にお経を唱えることはできないと
伝えました。

祖父は
「分かったから安静に過ごしなさい」
と言いました。

祖母は
「分かったけれど、
 もし明日の朝、調子が良かったら来なさいよ」
と言いました。

その時私はハッとして
諦める自由を与えてもらうことも優しさだけれど
諦めない自由を残してもらえることも
優しさなんだと気づいたのです。

もし母性というものがあるとしたら
こういうものなのだろうと思います。

それから私はいつも相手には
両方の選択肢を残すことを
意識しています。

「やっても良い
 やらなくても良い」

あなたの好きにすることが私は嬉しいと。

あなたの選択を私は応援します。

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