【くるり・ASIAN KUNG-FU GENERATION・BUMP OF CHICKEN】物語のような歌詞が魅力的な3曲について語りた〜い!
こんにちは!日々ひみつです。
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今回は“物語のような歌詞が魅力的な3曲“について語らせていただきます
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*私は音楽好きですが、音楽の歴史とか音楽用語とかよくわかってない人です。プログレ?とか◯◯年代のアーティストを彷彿とさせる…みたいな事が雰囲気でしかわかってないので、以下の語りには難しい言葉は使っていません。宜しくお願い致します。
1.ブレーメン BREMEN/くるり
小学生の頃から、近所の図書館に行くのが好きだった。
図書館には、偶然の出会いが散りばめられている。
誰も知らないような外国の児童書(翻訳版)や、材料も手に入らないようなお菓子のレシピ本。当時流行っていた「こわい話」や怪談の本を毎週のように借りる。それをみんなが寝静まった夜、布団の中で開いて読むのが楽しかった。特にハッピーエンドのお話が好きだった。けれど時々、表紙が可愛いという理由だけで借りて、読んでみたらストーリーの切なさに泣いてしまったこともある。
「ブレーメン」との出会いもそう。
10年以上前、たまたま観ていた音楽番組で流れたライブ映像。その音楽との出会いは、贅沢な多幸感に包まれた物語のようだった。
パシフィコ横浜国立大ホールで行われた、7枚目のアルバム「ワルツを踊れ Tanz Walzer」を再現するという贅沢な公演。
ウィーンで制作されたこのアルバムの、レコーディングに携わったオーケストラ。指揮者。サポートメンバーにコーラス。そしてもちろん、くるり。
天井のライトがキラキラと輝き、照らされるメンバーやバイオリニスト、指揮者の顔には笑みが浮かぶ。
「こんなに幸せな音楽の空間があるんだ…」
すっかり「ブレーメン」の虜になった私は、早速アルバムを購入した。ヘッドフォンで何度も聴く。イントロのリズムの軽快さ・途中に入ってくるギター・弦の優雅さの対比。Aメロからのビッタビタなハモリ。3分24秒からラストにかけて、全然飽きない展開。疾走感の後、ダダダダーン!と終わる。余韻と爽快感。
はぁ…幸福。
でも、気づいている。
冒頭の歌詞で、少年が亡くなってることに。
ブレーメンは曲だけ聴くと、明るく優しく心地よい。
でも、歌詞を読むと私は胸がキュッとする。
くるりのアルバム発売当初のインタビューとか読んでないので、以下は私の勝手な考察と解釈です。
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街外れの古びた小屋に雷が落ち、そこで暮らしていたひとりぼっちの少年が亡くなってしまう。
その少年を忌み嫌っていた町の人々は、燃えてしまった小屋を片付け何もかも処分してしまおうとする。
月日が流れ、亡くなった少年の小屋の周りにバラが咲く。
燃えた小屋の中に残されたオルゴール。ネジをまき、人々は少年の故郷の音楽を聴き、青空の下で歌い出す。
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ブレーメンの歌詞をじっくり読んでも、実は正確なストーリーがわからない。
・ブレーメン
・鳴り止んだ昔のオルゴール
・楽隊のメロディ
・渡り鳥 少年の故郷目指して飛んでゆけ
ざっくりとした断片的な言葉しか無い。
ブレーメンはドイツの都市?
「ブレーメンの音楽隊」モチーフ?
街の灯りを大粒の雨に変えてゆくって?
楽隊の音楽が、時を経て少年を失った悲しみを人々にもたらしたのかな?とか…歌詞だけを読んでも正確な物語は把握できない。
(ご存知だとは思いますが、音楽の歌詞は発声した時の音の響きを優先する事もあります。必ずしもストーリーがわかる&正しい描写が必要なわけじゃないので、この歌詞に不備があるということは全くないです。)
でも、確実なことがある。
ブレーメンは完成した音楽で。
この曲を聴いてる人は何万人といて。きっと、何万通りのブレーメンの物語があるんだと。
小学生の頃借りていた、挿絵の少ない異国の絵本のように。想像の世界。
この歌詞は、音符と共に聴く人の耳を通って、脳を漂い、その人の体の中で、はじめてひとつの物語として完成する。
私は そう思っています。
2.腰越クライベイビー/ASIAN KUNG-FU GENERATION
高校3年間、クラスの男子とほぼ喋らずに卒業した。
同じ部活の同級生や先輩・後輩・先生なら話せるのに「クラスの男子」とした会話なんて、文字数にしたら30文字も無いのではないだろうか。
自分でも理由はよくわからない。話しかけられもしなかったけど、いじめられていたわけでもない、無視されてたわけでもない…。ただ、話しかける用事も接点もなかった。ましてや、何か相談事や秘密を打ち明けるようなことも。
腰越クライベイビーはASIAN KUNG-FU GENERATIONのアルバム「サーフ ブンガク カマクラ」(2008.11.5)に収録されている。
このアルバムは全ての曲名に江ノ島電鉄の駅名がついていて、アルバムに同梱されている歌詞カードも横に長い1枚&緑のラインが引いてあり、電車の運行表みたいになっているところが個人的グッとくるポイント。
“腰越(こしごえ)”の名前がつけられた「腰越クライベイビー」はこのアルバムの中でも一番の推し曲。
アジカンさん(いつもこう呼ばせていただいてます)は圧倒的にセッション能力が高いところがめちゃくちゃすごくて。
この曲丸ごと、音楽として聴くのもすごく素敵。イントロの押し寄せる波を彷彿させるドラムから始まり、体を揺らしたくなるようなメロディ。
私はこの曲のサビが大好きで。
ボーカルの後藤さんがもし万が一、いや億が一、この文章を読んで気分を害されないかちょっと心配ですが…
当時の後藤さんは、地声でシャウトするような歌い方が多かった印象。(シャウトも好きです)
でも、この曲のサビは、ものすごくビタっとした裏声で。
…それが、私の心臓にストッと命中。
腰上まで君は波に浸かって
「こ→し↑うえ↑↑ま↑↑↑で↓↓↓↓↓↓〜♪」というこの音の流れ
特に「し↑〜うえ↑↑」の裏声が、0.00001くらいの隙間でクルッと地声から裏声に変わる感じが…最高に…好きです。自分で歌うのも気持ちよくて好き。最後の「で」が、最初の「こ」の音程まで戻るのも好き。
風にふわり 波にゆらり
後藤さん・喜多さん(ギター)・山田さん(ベース)でハモるのもまた上手くて…。(ライブで聴くと最高です)
音楽的なことはここまでにして、歌詞について。
この曲は
「ある日の“数分“」という
瞬間を切り取ったショートストーリーだと個人的に考えています。
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ある夏の日の明け方。
家に帰らず、夜通し語りあった高校生がたどり着いたのは海辺。
夕方と勘違いするような空の濃淡が広がる水平線。
そこにもちろん人影はなく、プカプカとブイが浮かぶだけの静かな水面。
女の子はまっすぐ前を見つめ、ずんずんと海まで入っていき…ウエスト位置まで波に浸かってしまっている。所々透けた夏のセーラー服と、長い髪。夜明けまで泣いていた目は赤く腫れ、ぼんやりと遠くを見つめている。
一緒にいる男の子はクラスメイト。女の子を止めるため、海まで走って行ったが途中で足がもつれ…頭のてっぺんから爪先まですっかりびしょ濡れ。
女の子の心情を想像すると自分まで辛くなり、髪の毛からしたたる海水に紛れて泣いてしまった。
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2人は夜明けまで何を語り合っていたのだろうか。将来のこと?恋愛のこと?帰りたくないほどの家庭の問題?
もしかしたら、片方はずっと喋っていて、片方は『うん……うん…』と相槌だけ打っていたのかもしれない。
念のためもう一度書いておくけれど、これは私が歌詞を読んだ時に浮かんだイメージ。歌詞のどこにもクラスメイトなんて書いてないし、同性同士・会社の先輩後輩・実は昨日の夜、出会ったばかりの2人かもしれない。
一方、海のない内陸に住み、部活動に明け暮れ、クラスの男子とトータルで30文字しか話さなかった私。真逆すぎて、想像もできない世界である。
ひがんでいるわけじゃなくて。ほんと、ほんとに、素直に。
じゃあこの曲のイメージを“年上の男の先輩と後輩の女の子“にしたら?
…それも悪くないけど。なんか、クラスの男女にした方が、私にとっては物語って感じがする。
自分の体験する日常から、ほんの少しずれたところに、物語がある気がするから。
ちなみに歌詞の中に「昧の浜」という言葉が出てくる。私は「ほぅ、都会にはそういう地名があるんだな?」と思っていたのだが、この記事を書くために再度調べ直し。
そしたら『昧(まい)→夜明け。夜のうすぐらいとき。(goo辞書より)』の意らしく。
「なるへそ、“昧“の“浜“で夜明けの薄暗い浜辺のことか!」と、また一つ腰越クライベイビーへの知見を増やしたのでした。
3.ダンデライオン/BUMP OF CHICKEN
私が読みたいのは いつだって幸せな結末の物語
でも、この物語の真実を知ったとき 鳥肌が立ち 涙が止まらなかった
最初に書いておくけれど、BUMP OF CHICKENはよく「音楽は聴く相手が何人いようと、1対1」と言うような表現をする。
だから、私が今までこの記事で書いたことも、これから書くことも、私と音楽の1対1を言語化したものだと捉えてほしい。
だから、貴方と音楽の1対1に干渉するつもりはなくて。でも、約20年前にこの曲を誰かと語り合いたかった貴方に届いてくれたらと、こっそり思っている。
紛れもなく、私をBUMP OF CHICKENと歌詞考察沼に陥れたのはダンデライオン。弟が友達からもらった、いろんなアーティストの曲がごちゃ混ぜになったMDに、無造作に録音されていた。
イントロのギターとドラムの掛け合い。徐々にリズムと音符が細かくなり、めちゃくちゃかっこいいギターのメロディ。ノリの良い明るい曲。最後のンジャン!って終わるところはまさに物語の「おわり!」って感じで気持ち良い。
気に入って何度も聞いていたし、何なら聞こえた歌詞で歌ったりもしていた。
でも、これはMDで聴いていて。歌詞カードがない。
…歌詞、なんて言ってるんだろう?そこから、歌詞を書き取るように聴いていった。
…
……
…………
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物語の舞台は、とあるサバンナのはずれ。どの動物からも怖がられ、逃げられてしまうライオン。寂しい気持ちを抱えながら、とぼとぼとひとり歩く。
吊り橋だ。
まだ行ったことのないその先へ進むと、タンポポが咲いていた。
ライオンがおそるおそる近づいても、その花は凛としたままそこにいる。
お前は 俺が 怖くないのか?
逃げないでいてくれるのか?
ライオンがそう問いかけた時、強い風が吹きぬけ、花は一度だけ首を縦に振った。
ライオンはうれしくて、知らないうちに、温かい涙を流していた。
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ぜひ、曲を聴き、歌詞を全部読んでからまたこちらに戻ってきて欲しい。ネタバレになってもいいという方はどうぞ先へ。
ただ何気なく聴くだけだと
「ライオンとタンポポの友情物語」
「ライオンはひとりぼっちだったけど、タンポポの友達ができてよかったね・的な絵本みたい」となるかもしれない。
歌詞を聴くと、ライオンの切ない心情・理解者に出会えた喜び・そしてその後の悲劇・せつなくも救いのある結末…。
…
……
………
では、ここで一言。
誰が
ライオンの友達が
花だって、言った???
「おいおいおい、日々ひみつ、何言ってんの?タイトルが“ダンデライオン“だし、歌詞の最後で一面に咲くタンポポの花って言ってんじゃん。わかるでしょ!そんなこと」
はい、至極ごもっともです。
でもですね
太陽によく似た姿だった
今日の土産は いつも無口な
お前によく似た色の小石(金色の琥珀)
など、歌詞カードには“多分花だな““種類はタンポポだな“と聴き手に“連想させるような言葉“だけ。
「花」「タンポポ」という言葉は、歌詞カードに一度も登場しない。
ちなみに、歌詞の最後の“一面に咲くタンポポの花“はあくまでも谷底に咲いた“新たなタンポポ“なので、実質ライオンが出会ったタンポポは、この歌詞の中で一度も「タンポポ」と呼ばれていない。
でも、多分私もあなたも、頭の中では確実にライオンの友達はタンポポで描写されているはず。
藤原さんは「お前」としか歌詞の中に書いてないのに。
アルバムリリース当時、作詞作曲藤原基央20代前半。
すごくない????????
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もう一つあります。
冒頭で、ライオンとタンポポの友情物語のようだと書きました。
でも、じつは
タンポポは、なんも、思ってない
これは、ライオンの
勝手な思い込みの物語
ライオンが
お前は 俺が 怖くないのか?
逃げないでいてくれるのか?
そうタンポポに聞いたタイミングで、たまたま強めの風が吹き、風に押されて頷くように揺れたタンポポ。
それを目にしたライオンはそれを「うん、怖くない、逃げない」という返事だと勝手に思い込んで喜びの涙を流した。
雨の日でも、ライオンはタンポポに会いに吊り橋を渡る。
今日の土産は いつも無口な
お前によく似た色の小石
いつも無口な・と言うことは、最初にタンポポを理解者だと勘違いしてから何度もタンポポの元へ通っていたんだろう。そして一方的に話しかけ、楽しいひとときを過ごしていたのだと思う。
ある日、ウキウキ気分で橋を渡っていたライオンに悲劇が起こる。吊り橋が雷に打たれて、ライオンは深い谷底へ真っ逆さま。
痛みに目を覚ませば
空は遠く 狭くなった
お前を泣かすものか
ライオンは自分の痛みよりも、大切な理解者であるタンポポへ無事を伝えるために、力の限り叫んだ
この元気な声が 聴こえるか
この通り 全然平気だぞ
…私は、この歌詞ぐらいから結構な確率で泣いてしまう。未だに。
『ただ無機質に雨に打たれ続けるタンポポ』と『谷底で雨に打たれ、血を流し、痛みに耐えながらも、全力で声を出し続けるライオン』が脳内上映されてしまうから。
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私はダンデライオンを弟から借りたMDで聴いたので
「ダンデライオン」というタイトルすら知らなかった。
タイトルを知らなかったときは
「歌うまい・明るくて・ノリの良い曲」
タイトルを知って、歌詞を頑張って耳で追ったら
「ライオンとタンポポの切なくも温かい友情物語を脳内再生」
その後、アルバムを買い、歌詞カードを読むと
「………ライオンとタンポポは友達じゃない…少なくともタンポポはそう思ってない…」
ライオンの一方的な タンポポを慕う気持ち。それはライオンの勝手な思い込みだったかもしれない。けれど確実に、ライオンの人生を照らしてくれた、太陽のような出会いだった。
タンポポ、もとい“お前”と出会うことで、ライオンは安堵の気持ち・温かい涙が存在するということ・友達に会いにいく喜び・何かを見て相手を思い出す幸せ・自分に困難が起こっても相手を思う強さ…
そして、人生の最後に大切な相手に出会えた喜びが、ライオンの死を温かく包む。
音楽に会いにいく
私も、働いていた職場で人間関係の構築に失敗した事がある。あからさまな嫌悪の態度、陰口といつまでも続く疎外感。しんどかった数年。
そんな時、私は音楽に会いにいく。
音楽は私にとっての“タンポポ”だ。
再生ボタンを押せば、会いに行ける。音を鳴らしてくれる。
私がどんなメンタルでも、怪我していても、病気でも、音楽はそこに居てくれる。それを魂込めて作り、演奏したアーティストは、私のことを知りもしない。
でも私は、ライオンのように至極一方的に、勝手に慕い、運命さえ感じてしまう。
「アーティストの皆さん、制作に関わった皆さん、この世にうまれ、生きてくれてありがとう」
「音楽を作ってくれてありがとう」
「あなたと同じ時代に生まれてよかった」
「私を生かしてくれて、ありがとう」
今日も私は
タンポポに会いにいく。
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