【歌詞考察】おべんとう/ハンバートハンバート〜冷めても美味しいは押し付け?〜
こんにちは、日々ひみつです。
音楽の話がしたすぎて、音楽袋の尾が切れそう!だから始まったOOHS(お願いだから音楽の話をさせてちょ)
今回はハンバートハンバートの「おべんとう」という歌詞について、自分がどう感じたか?を書いていきます。
実は、最近Anchor(アンカー)というアプリで音楽の話をするラジオを始めてました。noteではラジオで話した事の補足や、ラジオ収録後にさらに知見を深めた結果、曲の解釈が変わった時に更新する・というスタンスでやってみます。
ラジオ始めました
まず、私が突如始めたラジオ。番組タイトルは
''日々ひみつの音楽のお漬物''
です!どんどんぱふぱふ!
毎日音楽を聴いて音を浴び、音漬けになってる日々ひみつ。さしずめ音楽のお漬物。
音楽は主食、お弁当で言うところのごはん。それに寄り添うお漬物のように音楽を語りたい。そんな気持ちを込めました。
内容は
*雑談
*紹介した楽曲の歌詞考察
*この曲いいよね〜という語彙力のな〜い感想
*アーティストの思い出話
などなどを、基本1人で喋ってます。
たまにお昼ご飯食べながらとか、気になってるお菓子食べ食べコーナーがあったり、めちゃくちゃ緩いです。⚠️ASMR(咀嚼音等)がありますので苦手な方はご注意を⚠️
でも実はこのラジオ、ぼっちの自己満足の極みラジオじゃないです。
なんと!
好きな曲が!!
流せます!!!
「Music + Talk」は、Spotifyが提供する音声コンテンツの制作・配信アプリAnchor (アンカー) を利用し、Anchorで録音したトークと、Spotify上で利用できる楽曲でひとつのコンテンツを作成することができる新しい機能です。
(noteのSpotify Japanアカウント記事より引用)
Spotifyのアプリからラジオ(Podcast)を聴くと、無料会員なら30秒、プレミアム会員ならフルで楽曲を聴くことができるという!!
一般的に、個人でやるラジオは自分に著作権がない曲を流すことができません。ultra soul流したらブッブー。
でも Anchor(アンカー)で作るラジオは、Spotifyで配信されている楽曲なら使ってオッケー!!!
ウルトラソウル!ハァイ!流せます!
(注:時々Spotifyで聴けるのにラジオで流せない曲があったりします/2021.11.7現在)
中学生の頃憧れてた
ラジオDJになれる
アラフォーになるまで、ことごとく「将来の夢」が叶わなかった私。パティシエ・図書館司書・公務員・ライブスタッフ…どれも金銭・タイミング的問題でバツがついてきた人生。
でも、今はタレント・ラジオパーソナリティ・アナウンサーになったり制作会社に入らなくても、ラジオ番組をスマホひとつでつくれる。
すごい時代になったものですね。
じゃあここはひとつ、自分の夢を自分で叶えてやろうと思ったわけです。
本題
前置きが長くなりました。
今回はハンバートハンバートの「おべんとう」について。
1998年結成、佐藤良成(さとうりょうせい)と佐野遊穂(さのゆうほ)によるデュオ。2人ともがメインボーカルを担当し、フォーク、カントリーなどをルーツにした楽曲と、別れやコンプレックスをテーマにした独自の詞の世界は幅広い年齢層から支持を集める。(公式サイトより引用)
夫婦であるお二人は3人のお子さんを育てつつ活動されてます。
ほんわか優しいほのぼのデュオ…のイメージだけではなく、死や吃音、何かを作り出せない事への葛藤や人間のどうしようもなさを歌ったりと、聴くごとにはまっていく曲ばかり。
おべんとうの歌詞考察は私のラジオの【その2】↑で語っているので詳しい話は省略します。聴けない方のために歌詞の概要を少し書きますね。(曲はSpotifyのPodcastのみで聴けます)
⚠️序盤若干のASMRあり・苦手な方は8:30秒まで早送り推奨⚠️
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親「今日は子供達がバスに乗るって言ってたから、早起きしちゃった。さあ、張り切ってお弁当作ろう」
子供「他のみんなはハンバーガー屋さんに行っちゃった」から、一人バスの中で冷えたお弁当を食べる。
=====
…このシチュエーション、皆さんはどう思いますか?
バスの中1人でお弁当を食べると言うことは、市内循環バスとかじゃないはず。学校の行事とか見学旅行で貸し切るタイプをイメージをしました。
私がこの曲を初めて聴いたのは、まだ親になる前。だから、子供の方の気持ちに感情移入。
さめても、おいしい
さめても、おいしい
さめても、おいしい
さめても、おいしい
サビの歌詞がこの「さめても、おいしい」だけ。
私はこの8文字の中に「お弁当を作ってくれたのは、うれしい。でも、みんな僕を置いてハンバーガー屋さんでお昼を食べてる。さみしい。なんでお弁当なんか作ったんだよ。これさえなければ僕も一緒に行けたのに…でも、そんなふうに思ってしまうのはダメなことかな…ごめんなさい。でも、僕だってハンバーガー屋さん行きたかったのに…悔しい。でも、おいしい、冷たいけど、おいしい…」
みたいな、子供の中のごちゃごちゃした整理できない気持ち。
それを歌った曲かも…と思って涙が出たのです。
親の張り切り&お節介に感謝と反発で押しつぶされそうになった思春期の感覚で曲を個人的にとらえてました。
でも、再度ラジオと曲を聴きなおした時、ふと思ったんです。
もし、この"僕"が、他の子たちと馴染めていなかったら…
最初の考察で、私は"僕"を小学校高学年くらいの設定にしていました。でも、小学生をバスに一人で置いておくようなことは、流石に先生方もしないんじゃないかなと。
もしかして、中学校に入りたてくらいの時期で、''僕''が周りに馴染めてない。それを親はなんとなーく察していたのでは…?と。
気乗りしないけど、ずる休みするほどでもないバス移動の行事に行く子供。その空気を感じ取った親。
楽しめないかもしれないけれど、せめて美味しいお弁当で満腹になってほしいと考えたのでは…?
そう考えると「さめても、おいしい」の解釈が少し変わる気がします。
「みんなと一緒にハンバーガー屋さんに行く勇気はやっぱり無かった…でも、僕にはお弁当があるから大丈夫。ひとりでも、お弁当があるから、お腹は満たされる。さみしくない。…さみしくない。ひとりぼっちでも、ごはんもおかずもすっかり冷めてるけど、おいしい…」
こう考えると、少しだけ曲の聴こえ方が違います。冷めても美味しいお弁当が、ほんの少しの光と笑顔の素になる。そんな気がします。
おわりに
ここまで書いたことは、すべて私の勝手な想像と解釈です。どちらの解釈も、良い悪い・あってるとかまちがってるとかの話じゃなく、こう捉えたらこう聴こえた・という話です。
他の人はどんなふうに思うんだろう。
是非、ハンバートハンバートのおべんとうを聴いて感じた事を教えてください。
ちなみに、ラジオ内で言ってた3歳の言い間違い漫画はこちら
ではまた次の更新orラジオで…
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