見出し画像

旅の時。

函館・西部地区の元町にて生まれる。1歳になる前に杉並町に越したので、ほぼ生まれたというだけで西部地区への思い入れはないに等しい。その後の人生で、西部地区から程遠い地を渡り歩き、函館から離れたままの人生が続く。故郷函館は、自分の人生において、十代までを過ごした少年時代に過ぎなかった。
しかし人生は不思議なもので、強く望んだと言うわけでもないが自分の人生の区切りとして一度函館に戻る。30歳。一人の知人すらいない函館ライフが始まる。まずは「はこだてイルミナシオン映画祭」のボランティアになりたいとその年の冬の映画祭の準備会議に参加した。それが自分の人生において初めての西部地区との出会いだった。冬の西部地区はうっすら雪化粧でとても美しかった。
数年の時を経て、末広町二十間坂の物件と出会う。オランダロッテルダムにあった「Pazar」という中東料理のお店に憧れを持っていた自分の中の店イメージが、その物件に出会った瞬間に景色として広がった。茂辺地にあった祖母の旧家解体の廃材を主に使って友人たちと数ヶ月かけて内装を作り上げた。お店作りに熱中するあまりお店のメニューすらはっきり確定しないままオープン直前を迎えた。バタバタしたままお店は動き出し、営業形態も変化させながら10年夢中で営業してきた。気づけば道南に多くの知人友人は増え、嫁と二人だった家族も四人に増えていた。縁あってお店を始める前から知り合っていた生産者の方々とも、お店を通じて縁を深めることができた。
西部地区でお店をしていると、人の繋がりがあったかいと感じる。小さなお店を小さいながら力強く続ける方々は芯が強くそして優しい人が多く、見えない糸でゆるく繋がってるような感覚があった。春と秋に開かれるバル街はそんな横の連帯感を一層強く感じるお祭りだと思う。今年は開催がなかったが、オープンから欠かさず参加させていただいた。坂道の外にテントを張り、牛肉回転焼きのドネルケバブを焼くと匂いも流れるのか、多くの方が坂道に並んでくれ、賑やかにお酒を片手に楽しんでいただいた。
2020年、以前から計画していたもっと広い空間での店作りに挑みたく、末広町店舗を離れることを決めた。函館は旅が似合う街である。自分も旅人の宿木のような場所でありたいと思っていた。地元の方にも旅気分を感じてもらいたかったし、旅の方とは交流する市場(バザール)のような場所であろうと思ってきた。お客様にとっても旅の時間であったように、今思うと自分の西部地区時間も旅の時間だったようだ。旅は続き、終わりはない。どこまでも旅しながら、今という時間を味わい尽くして行きたい。そう思って、旅立ちます。ありがとう西部地区の時間、西部地区の愛すべき人たち。

<バル街からの手紙vol.2に寄稿>
(2020.11.1函館西部地区バル街実行委員会発行)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?