
こういうところ、好き!
この記事は mast Advent Calendar 2023 の 22日目の記事です。
昨日、21日目はKazumi Inadaさんの記事、「学生が主催する研究室トークイベント「GDLabLT」 の舞台裏」でした。
自分もこのイベントに参加させていただきました。研究室選びの参考になったことはもちろん、学類の先輩の話を聞く機会が実に入学直後の新歓以来(!)だったこともあって本当に楽しいイベントでした。
はじめに
こんにちは。mast21のびきです。普段は楽器を吹いたり、カメラを持ち歩いて写真を撮ったりしています。
— びき (@hi13i_) November 29, 2023
さて、ここで突然ですが、好きな場所・建物をいくつか紹介します。
中学・高校の時によく歩いていた横浜・桜木町駅周辺を中心にちょっとだけマイナーどころな近代の建物の遺構がいくつか出てきます。ぜひ楽しんでいってください。
今年のアドカレは非常に記事の出る率が高く、かなり焦りました。正直かなり仕込みを怠っていたので、最近復活させたNASを漁って出てきた過去写真をもとに書いた記事となります!
よって、この記事の執筆に当たって改めて現地に……ということができませんでした。現在は状態・状況が変わっているかもしれません。ご容赦ください。
横浜近辺の好きなものたち
旧横浜競馬場 一等馬見所跡

母校のすぐ近くにあり、思い入れのある建物。かつてここに存在した競馬場の観客席の遺構です。関東大震災の後、1930年に建てられました。特徴的な3つの塔はエレベーター塔です。
修繕・保護の手が加わっている様子はあまりありませんが、2009年には近代化産業遺産に認定されています。
1866年(慶応2)、イギリス駐屯軍将校らが設計・監督のもと、日本で最初の本格的な競馬場施設「根岸競馬場」を建設し、(中略)翌年1月には記念すべき最初の競馬が開催されました。
横浜の臨海部、小高い丘の上に位置していたこの競馬場は、「軍港が一望できる」などといった理由で海軍省に接収されてその歴史に幕を下ろします。
終戦後には連合軍の管理下に置かれ、現在でも敷地の一部にはアメリカ軍住宅(根岸地区住宅)も残されています。



柵の右側が米軍住宅地。

敷地は現在、「根岸森林公園」として整備されており、中にある「馬の博物館」では競馬・馬事に関する文化や競馬場の歴史を伝えています。
旧税関事務所遺構

有名な赤レンガ倉庫の傍にある花壇……が遺構。
1914年(大正3年)に建設された税関事務所の遺構で、関東大震災で焼失。瓦礫となって一度は埋め戻されたようですが、赤レンガパークの整備の際に発見され、花壇として利用されています。


当時の資料が上記のページ、「横浜税関海陸連絡設備」から見ることができます。アーカイブって本当にすげ~~~!!


出典は同じ
旧横浜港駅プラットホーム

1911年(明治44年)に「横浜港荷扱所」として作られ、1920年(大正9年)からは「横浜港駅」として、東京駅からの汽船連絡列車も乗り入れていた駅です。
戦後、海外への渡航手段が飛行機へと移り変わったことで汽船連絡列車は1960年に終了。輸送手段もトラックへと転換していく中で駅自体も1987年に廃止となりました。
配線跡の一部は「汽車道」として整備され、桜木町駅から赤レンガ倉庫までの道のりをたどることができます。

帆船日本丸(初代)

1930年に進水した、大型の練習帆船。
動力として、ディーゼルエンジンも積んでいます。
中の写真が確実にあるのですが、見つかりませんでした……。本当は中に入ってエンジンとか内装のいい感じの部屋とかいろいろ見られるんです……。

スケジュールを合わせて見に行くと、帆を全部広げた状態(総帆展帆)の日本丸も観ることができます!コロナの都合で前はやっていなかったのですが
……
旧横浜船渠株式会社第一号船渠

1898年に竣工した船渠(ドック)で、横浜造船所の移転後の1985年からは日本丸メモリアルパークの一部として、日本丸(先述)を係留しています。

二号船渠の方は「DOCKYARD GARDEN」として、いい感じの商業施設になっています。こちらの方は水が抜いてあるので、両方見るとかなりお得。
氷川丸

日米を結ぶ貨客船として、1930年に竣工。オリンピック招致の帰路、嘉納治五郎が亡くなったその船でもあります。
1941年に海軍に徴用されると海軍特設病院船として運用。3度の触雷するも沈没せず、戦後には再び貨客船として日米を結ぶシアトル航路に復帰。艦齢30年に達し第一線を退くまでに太平洋横断254回を記録。
他





番外編:長崎
2回旅行で訪れただけの長崎ですが、すごく好きな街です!
ゆかりのある街ではないので文章はほとんど書けませんが、写真だけでも。
街並み(提灯祭り期間を含む)



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針尾送信所
針尾送信所(はりおそうしんじょ)は、1922年(大正11年)、長崎県佐世保市の針尾島に大日本帝国海軍によって建造された無線送信所。第二次世界大戦後も1997年(平成9年)まで海上自衛隊および海上保安庁の無線施設として運用されていた。
電波塔の高さは1号塔と2号塔が135メートル、3号塔が137メートルで、基部の直径は約12メートル、厚さは76センチメートル。3本の配置は約300メートル間隔の正三角形となっている。






端島(軍艦島)




九十九島


おわりに
Twitterのメディア欄総集編!みたいになってしまいました。横浜行くことがあればいくつか寄ってみてください~!
こんな感じの場所が好きなので、こいつこれ好きだろ!みたいな場所があったら教えてください!
明日、23日目の記事はいなにわうどんが書くみたいです!お楽しみに