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爆ひな’20がくれた4年越しの宝物

試しに自分のツイートを『爆ひな』で検索してみた。

そして、興味本位であの頃に遡ってみた。強がって平静を装ってはいるが、今読んでも気が滅入る。私が大好きなものは、すべて不要不急。自分自身を全否定されたような気分だった。友達はそれを「絶望」と言った。次々と絶たれていく望み。一喜一憂の波に飲み込まれないよう、小さな喜びにも必死にしがみついた。

見当違いなことにまで、気持ちをこじつけては踏ん張った。そうでもしなければ立てなかった。初めて目の当たりにしたコロナ禍による公演自粛。それが2020年3月1日に開催されるはずだった『爆ひな'20』。身も心も渇望状態の幕開け。できることなら、この手のタイプのガマンはもういいかな。

当時を振り返り、気持ちを抜粋しようと試みたが、あまりの量に断念した。というか、そんなん読んでると簡単にあの頃に戻ってしまうもので、どん底の気持ちになるからやめた、というのが正しい。それだけ嬉しいラインナップで、とにかく開催されるのが待ち遠しかった。

一緒に行こうと計画していた友達とは、事あるごとに『爆ひな』の話になった。こんな機会、もうないんだろうな。最近はそう結論づけることの方が多かった。

目を疑った。誤植だと思った。瞬時には理解できなかった。よくよく見ると、アー写すら現在のものであれ、表題には大きく『爆ひな'20』の文字。こんなに大きな文字ですら見間違えるようになったのか?私の老眼も相当だ。もう実現しないと思ってた。ただただ嬉しくて取り乱した。

今頃になって気づいたが、どこにも「中止」とは書いていない。そうか、無期限延期だったんだ。万全の体制で開催する、その時が来たんだ。

彩名さんのツイートを読み返すたび、心臓がギュッとなる。この年の夏に振替を計画してくれた時もそう。すべては一日にしてならず。スタッフの皆さんのご尽力があったからこそ、我々は安心して2024年3月3日を、あの時と同じ、なんばHatchで迎えることができた。そして、4年後に開催されたからこそ、受け取ることができた出来事がたくさんあった。

「あかりをつけましょアクト」という肩書きを変えずにOAを務めた超能力戦士ドリアンに、私が思う「オープニングアクト」という概念はまったく感じなかった。いわゆるトッパー、単に出順が一番最初、要するに起爆剤。最初からこんなに汗をかくとは思わなかったし、何より体感は秒だった。この4年間、彼らが着々と培ってきたアイデアとユーモアが樹立していた。

木村昴さんのイベントで観た岡崎体育は、すべてが彼目当てのお客さんではない状況だろうと、それを逆手に取るかのように会場を圧倒していた。となれば当然期待も高まる。何回くらっても、「open」はじまりは一瞬でぶち上がるし、要所要所でカリカリ梅を頬張ることを良しとさせる空気は、彼にしか作り出せない。

こうも好アクトが続くと、期待しないわけにはいかないのがキュウソネコカミ。そういえば途中、持ち時間がどうこうという流れがあったけれど、我ながら実に勝手な客だもんで、演者のハラハラなんざ蚊帳の外。でも、そうさせたのもキュウソネコカミなんだよね。なぜって?それはもう「困った」だよ。この曲をここで聴けるなんて考えたこともなかったし、とても付け焼き刃とは思えなかった「良いDJ」も同様だ。そうやって、いつだって、こちらの思惑を飛び越えてくるから大好きなんだろう。彼らからは【戻れるものなら戻りたい瞬間】を、今までもたくさんもらってきた。またひとつ、それが増えた。立て続けに攻め込む、強気のキュウソネコカミは、何度体感しても満足度が高く、また味わいたいと思わせてくれる。

「次は四星球!」というヨコタさんの促しに続いて登場した四星球。キュウソネコカミと四星球。私がこのコロナ禍を語る上で、欠かすことのできない2つの大きな存在。これも事あるごとに話題にしてしまうが、

コロナ禍による諸々の自粛が始まってから、私が初めて行くことができたのが、キュウソネコカミと四星球による『風雲!大阪城音泉』だった。大好きなヨコタさんのMCは自分が今に至る原動力となり、康雄さんのMCに膝から崩れ落ちたことは、昨日のことのように思い出せる。

四星球が出演した前日に、私は仙台JUNKBOXいた。康雄さんのこのMCが突き刺さったのは、そんなことも影響したんだろうか。

2月いっぱいで終わってしまうライブハウス、仙台JUNKBOXでライブをやらせてもらいました。とても大好きな場所だったから、最後にスタッフの人と話している時、泣いてしまったんです。そしたらスタッフの人が「そんなに??」と驚いていました。大好きという気持ちは、伝わりにくいことが分かりました。だからこそ、きちんと伝えていきたいと思います。

「クラーク博士と僕」でフロアに飛び込んだ康雄さんは、そんな風に話してくれた気がする。

数ある言葉の中から、誰にでも分かるものを厳選し、多くの人の心をつかむ。その最大の魅力は、恩着せがましくないこと。分かりやすく正しい日本語は、すーっと心の中に浸透する。そんな言葉選びの達人である康雄さんにまで、その難しさを痛感させる表現。素人の自分がうまく書き表せないのも当然だ。

伝える相手があってこその言葉。闇雲になんでもかんでも、自分の気持ちだけを伝えればいいってもんでもない。伝わりにくいものだからこそ、できる限り正しく表現したい。大切に思えば思うほど、相手の表情が浮かぶ。その笑顔のために、これからも言葉を探し続けよう。模索するばかりで、堂々巡りなことも多く、吐き出せないまま抱え込むこともある。あながちそれすらも、間違ってないのかもと思えた。

クラークの勢いから、フロアが一気に衝動的になった「薬草」の光景も忘れられない。これについて書き始めると確実に脱線するので、いつかまた別の話で。

そして大トリ、フラワーカンパニーズ。奇天烈なアーティストが軒を連ねる中で、最後を飾るロックの王道は、果たしてどう打って出るのか。

4年前では実現しなかったであろう、「深夜高速」feat.岡崎体育。レコーディング時にこだわり、譲ろうとしなかった「生きて《い》てよかった」という歌詞は、本家を重んじるがゆえに生み出した、オリジナルの歌い回しだったような記憶がある。それをそのまま、本家と共に歌い上げる姿は、とても印象的だった。

マエカワさんのアコースティックギターからはじまる「春色の道」。最新曲で現役を知らしめたかと思えば、30年前の楽曲で、その年輪による凄みを提示する。アコギからベースに持ち替えると同時に、高らかに鳴り響くドラム。あまりのかっこよさに、呆気にとられた。曲調や楽器すら違えど、アコギから持ち替えるあの瞬間に、うっかり某赤羽出身のバンドのあの曲を重ねてしまった。このかっこよさはきっと、自分がバンドと同じように、歳を重ねたから感じたんだろうな。終演後に友達に会うまでは、そう思ってた。

約束したわけでもないのに偶然会えた友達と、あれが良かった、これが良かった、矢継ぎ早にお互いの思いをぶちまけた。

「一言一句、同じこと思ってたんですけど!!!」

「春色の道」の話になったとき、彼女はこう共感してくれた。なぜ自分の方が先に口火を切ってしまったんだろう。むしろ彼女がどう感じたのか、彼女の言葉で表現することを優先するべきだったのに!

"かなり変化球のバンドの中、ど直球バンドの我々が通用したのだろうか?今、やれるべき事は、やったから、後悔はないけどね。
後悔はないが、若いお客さんに響いてくれたのか、不安はある。"

フラワーカンパニーズOFFICIAL BLOGより

私がこの「春色の道」の話をした友達は、20代。年齢も性別も関係ない。ど直球に、今、やれるべき事をやり続けてきたバンドの音楽は、きちんと届くべき人の元に届き、響き、輝く。「歳を重ねたから」なんて安直に思った自分の考えを撤回したい。2024年に開催してくれたからこそ、願ってもない、こんなに嬉しいシチュエーションにも恵まれた。

4年前、

こう話してた私たちの、

夢も叶った。

許されるなら バカらしくも 鮮やかな夢を
追いかけて行こう 明日ある限り

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