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キュウソネコカミ『私飽きぬ私』と私

キュウソの肝はヨコタのキーボードだよね。

アルバム『私飽きぬ私』が発表され、このアルバムについて、それぞれ違う友達と話してたときのこと。それぞれ違うタイミングで似たようなことを言われたが私に対する気遣いとは思えない。とても嬉しかった。ヨコタさんを大好きな私が何を言っても信ぴょう性などない。そんなのただの盲目じゃんと自分でも思う。本当は根拠とか、ちゃんとした理由をもって、大好きを表現したい。が、その道は相変わらず険しい。知識と語彙力のなさゆえに、所詮ただのミーハーだ。

さまざまな媒体の情報を踏まえて、第一印象から一ヶ月ほど経った今を残してみます。かなり脱線しそう。うまくいくかな。

■前説

2021.9.22 DooM!!×4 ureC tanoC taibanjaー!!
w/ フジファブリック at Zepp Nagoya

2021.9.25 東京スカパラダイスオーケストラ
TOUR 2021「TOKYO SKA Treasure Hunt」at Zepp Nagoya

あれを見ててくれた人たち。こんな名場面、うちのスタッフ、なんで撮ってなかったんだろう!と谷中さんが悔やまれていた記憶がある。

■優勝

OTODAMA'22で聴いたスカパラホーンズ入りの「優勝」。ヨコタさんの口からスカパラの名前が出たとき何を言ってるんだこの人は??正気の沙汰か??意味がわからなくて錯乱したことを思い出す。

先行配信シングルとALBUM Mixとの違いが分かるか恐る恐る試した。タクロウさんがいらした。おかえりなさい。そしてヨコタさんありがとう。シンセベースのご尽力あっての完成形だと思っています。ファンファーレから始まる、これ以上ない開幕宣言。

■ You don't know her.

新潟LOTS、熊本B.9V1、仙台Rensa、そして西宮を経て、ようやく自分の記憶を紐解かなくても済むようになった。時間の経過とともに、どんどん記憶が薄れていく。そもそもそんな曲なかったんじゃないか?

この時点でスプラッタとごっちゃになってる。やはり自分の記憶が一番あてにならない。

音源として聴くと、予想以上にシンセの音が耳に残った。何度も言うけど贔屓目(耳)じゃない。なんでだろう?単純に音が大きいから?意図的にこういうバランスなのかな。こんなに厚みのある音が聴けるとは。これだけ待ちわびても尚、ものすごくゾクゾクした。歌詞より音で凶暴性で表現したいという狙いは的中、ライブでの音圧と一体感には期待しかない。

にしても、ヨコタさんの機材紹介のおかげで、PEAKとの兼ね合いを知ることができたのは大きい。上段の右側に乗っかってる四角いの、レベルの知識でした。心よりお詫び申し上げます。「おいしい怪獣」は、特にギャオ!ギャオ!の背後で鳴るシンセの音が大好きなんです。この不協和音ぽい感じ、耳がバカすぎてライブで初めて気づいた。ヨコタさんがおっしゃる不穏さがとても好き。改めて『モルモットラボ』の解説を振り返ると、しっかりPEAKの名前があるじゃない。ねえ私、いったい何を読んでいたのかな?「囚」も重ねてたんだとすれば、PEAKを導入してから披露した旧曲にも使ってたのかな。いつぞや聴いた「友達仮」とかめっちゃ強くて、えっぐー!!なったなあ。。

■住環境

大好きなマイナーコードが続く中、この曲に関しては、なんかこう身構えることなく楽しんでいる自分がいる。MVの面白さとライブでの楽しさが二段階で楽しめるというのかな、聴きながら歩いてても、真顔で直立ジャンプしちゃったりね、駅のホームでゴルフの素振りするおじさんと同義。見かけなくなったねえ、こういう人。コンプライアンス的なあれかしら。

ヨコタさん……やっぱり金髪がとてもお似合いなんだよなあ……んあああ思い出した!!このMVのメイキングで、手作りの割りばし紙人形を操るあの笑顔……愛、おぼえていますか!!あれには全世界のオタクが昇天しましたね、実に罪深いです。事後報告となりますが、その節はありがとうございました。

■スプラッタ

これは音源化前にライブで披露された「スプラッタ」を聴いたときの印象だと思う。たぶん。

なぜ私はニヤニヤが止まらなかったのでしょうか?
それでは説明しよう!!!

オカザワさんのご説明にあるように、この曲のインスピレーションは北欧メタルを起因としている(なんということでしょう)(そうはいっても私は北欧のド真ん中を歩いていないため、かなり適当です)

そもそもヨコタさん has no boarderで、 普段からあらゆる音楽を網羅されている。毎回楽しませて下さるプレイリスト然り、その守備範囲の幅広さには驚くばかり。とはいえ、です。さすがにメタルは好んで聴かないよなーと。自分はたしなむ程度ではあれ、そこそこ聴いてきてしまったもんだから余計にそう思った。そしてこう言いたい。千尋!ここへ来てはいけない!すぐに戻れ!と。

でね、こっからがヨコタさんのすごいところなんだ。恐らくオカザワさんのご提案でなんかそれっぽいのを一聴したのではないでしょうか?なるほど、こんな感じね!てな具合に作ったのではないでしょうか?

で、あんなん作っちゃうんですよ??

そらもうニヤニヤが止まらない。妄想だけで白飯3膳いける。ギターメインの曲だと思うけど、私はシンセの音を追うのが楽しくて、可能であればそれだけを抜き出して、ずーーっと聴いていたいくらい。

と、少し前までは、これ全部妄想だったんです。ところが、そうでもなかったことをオカザワさんのコラムで知ることになります。今では立派な後出しジャンケンとなってしまいました。てかよく読んだらMUSICAにも、それっぽいこと書いてあった。出過ぎた発言を大変失礼しました…したたる滝汗…なんと図々しい…

先にも申し上げた通り、私は北欧のド真ん中を歩いておらず、もっといえば某貴族系(伏せれてない)ギタリストも根詰めて聴いてこなかったので、Hmp5th↓を意識したことがなかった。もっといえばパープルよりツェッペリンの方が体質的に合うのかもしれない。とはいえ様式美は素通りできないし、無意識に内包してたんだろな。結局、好きなものには、なんらかの根拠があって意外と抗えない。普段あまりそういうことを考えて聴いていないから、この齢になってそれらを知ることの楽しさを覚えました。

You don't know her.とスプラッタは、オカザワさんのdragonflyがライブで登場するかな?にも期待しています。そういや打首対バンの「パ」もdragonflyだったのかな。あと、ライブの「囚」はレスポールカスタムを使ってたけど、レコーディングとは違う機材を使うのは何か理由があるんだろか。いずれにしても、かっこいいから得しかないです。じゃんじゃんお願いします。

■真理

ギターソロ、「もっと長くてもいいのに。」略して、もとなが。切実に思うし、強欲を承知で申し上げます。もう一展開あっても全然いい。もっともっと聴いていたいです。聞き分けが悪くてごめんなさい。ギターとシンセがオクターブ違いで同じメロディを弾く、あの分厚さもたまらんです。この曲も引き算の一種なのかな。あえて弾かないって、すごくかっこいいな。引きの美学。その佇まいを目の当たりにしたい。

■いけしゃあしゃあ

好きに理由なんて必要ないよね!と振り切った直後、

まんまとツボを押されていたことを知る。言うまでもなくサカナクションもかな、こちらはやんわり感じていました。ライブで聴いたら踊り明かしてしまうんだろうな。強い意志をもってギターを凝視したいです。有言実行がんばれ私。そしてこの曲最大の醍醐味が

ヨコタさんのコラムを読みながら聴く

ことです。このコラムを読める環境にある人が、さらっと聴いてしまうのは非常にもったいない。ご指摘のフレーズを聴き取れたときの感動ったらありません。なにこれやっばい、ふおおおお!なります。段違いに幸せです。美しい旋律と展開に、あなたも心を奪われてみませんか。とんでもない曲だということにも気づいてしまいます。いい曲だなあ…!どころの騒ぎじゃございません。えらいこっちゃです。まじレベチ。

■Tくん

弾き語りで聴いたあの曲が、バンドアレンジだとこうなるんだ。このパターンの衝撃は初めてだった。こう仕上げてしまうところに、キュウソネコカミの本質を感じてやまない。音色へのこだわりが拍車をかけて、UK感だけじゃなく、あの頃に戻ったような、どこか懐かしい気分にもなれた。

どうせなら雨のフジロックで大合唱したいな。コピー用紙に書いた借用者、俺は大事に持って待ってる。。このコーラスんとこめっちゃ感動しちゃうもん。真顔で言ってますよ。苗場の景色を思い浮かべながら。

■ひと言

キュウソにしか伝えられない曲。今のキュウソだからみんなに届けられる曲。らしいとからしくないとか、私にはよく分からないけど、これはキュウソネコカミの曲でしかない。他に誰がやれる?

友達はポリスのEvery Breath You Takeを思い出した。夫はくるりの「ばらの花」。私はU2のWith or Without You。それぞれの思い出を話すきっかけにもなりました。

細かな部分を味わえるよう、ちゃんと曲というものに向かい合って、曲を曲として自分たちにプレッシャーをかけて作ったこと。曲そのものから伝わりました。真摯に向き合う準備はできています。いつか聴かせてくださいね。この曲に出会うべき人たちは、たくさんいるはずです。どうかまっすぐに届きますように。

■モノバショクセニイマモイキル

私にしては珍しく歌詞ありきで成立する楽曲。ほとんどの歌詞を、最初は音として受け取ってしまう体質なので、その意味をしっかり取り込むまでに割と時間がかかるのだけど、この曲については、すんなり入ってきた。ショートムービーを観ているような気分。歌詞がないと成立しない、の意味は、そういう光景が自然と浮かんだから。最初と最後の歌詞が同じなところにそのシーンに始まり、そのシーンで終わる、それこそ仮タイトルだった「残像」がぼんやり浮かぶ映画のよう。切なさを曲の疾走感で振り切るような、等身大のドキュメンタリーにも感じた。路地裏の猫にいばったとか、私は少し間接的な表現に惹かれるのかも。

Nord Electroのオルガン音には「ぬいペ二」のイメージもある。あれです、私的特殊詐欺ぶっとばすです、そ、その曲ぅ!なるあれ。ピアノがくると思ったら!となるあれ。おかげでちゃっかりあのオルガン音が好きだということに気づいてしまったあれ。で、私はオルガン音が音のイメージから過去の象徴(土台)で、パットのキラキラ感が、土台の上にある今なのかなと思ってた。でもそっか。残像を巡らせてるんだもん、なるほど確かに逆だ。

「ひと言」からのこの曲。この流れのおかげで自然と「私飽きぬ私」へ気持ちを乗せていくこともできる。アルバムとしての構成力も感じました。

■私飽きぬ私

この曲は、単に良い曲というより、これからライブなり何なりを重ね、たくさんの人を巻き込んで、どんどん大きくなるんだろうな、と思っています。未知数というのかな、聴けば聴くほど、回を重ねれば重ねるほどに、着々と自分の中に根付いて、年輪みたいに太い芯になる。だから今、この曲に関して何か言うのはまだ早い気がして、いっそのこと10年後になんか言いたい。そんなポスター、どっかで見たことあるな?

まだなんかやれてるかな。好きな自分を見失っていないかな。私過ぎず私でありたいという、自分自身への願望も込めて。

■シークレット・トラック

こういう曲があるからキュウソネコカミが好き。大好き。なにこの裏番長。ずるい。ひっそり隠れてるんじゃないよ。大好きだよ。本編に鎮座してたって全然おかしくないのにな、ここに位置していることの意味は充分にある。これだからキュウソネコカミは……略

■後説

良い意味で裏切られ続けて今がある。私の思惑なんていつだって見当違いで、大好きだと言う割に、どこを観てるんだか、ほとんど当たった試しがない。時を経たら、ある程度の冷静さを兼ね備えるんだろうか?その兆しは今も見えない。まあ、見えなくてもいっか。

大好きすぎて、感情もろとも持っていかれそうになることも多い。大好きすぎて、苦しくなることもある。その度にサイドブレーキを引く。好きを好きと直感だけで言えたら、どんなに素晴らしいだろう。頭では分かってても、そんな時ほど言葉にならなかったりね、めんどくさい私。

そんな自分を容認しながら、久しぶりに好きな尺度で心から大好きでいられる今が、とても嬉しいのです。
これからも夢中でいさせてください。どうぞよろしくお願いします。

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