【幕間】混沌とした迷い

■新宿地下街
 ボロい壁に何かの染み。銃弾の穴に、鋭利な大爪が抉った痕もある。
 妙に小綺麗だった新宿の面影は既に無く、どころかまともに掃除すらしてないのが良くわかる。地上は人の住む場所じゃなかったが地下も大概だな。
 その見た目の悪さの割には、みすぼらしい連中はいるもののガラの悪い奴らがいないのが妙だが、これが30年後の常識なのか?
「小澤様の下で働いている我々が新宿の平和を守っているのだ!
貴様ら有り難く思うのが当然だろう酒を持って来い!」
 怒鳴り声が道に響く。一応アレがいたか。
 ここの秩序を守ってる、ということだろうそれの声でくそ野郎の名前を聞いてむかっ腹が立ち、おもむろにそっちの方を向く。一つのバーの中だ。
「……金さえ出せばいくらでも呑めるよ、お兄さん」
「うるせえ、くそガキ」
 後ろめたいなら声をかけるんじゃねえよ。
 ガキの癖にボーイのそいつと目が合ったが無視して、近くの店に入ることにした。

 腰を下ろしつつ、適当に頼んだ酒を飲んで気を紛らわす。建前は各自情報収集だが、自由時間に近いだろう。遠足かよ。
 急にガキみたいな事をしてる気分になったので、それっぽい事をするかと辺りを見渡す。
 つっても人はほぼいない。どいつもこいつも辛気臭い顔つきで、ダサいフードに身を隠す。身を守るより、誰かから顔を隠すようなものだろう。
 どっかのくそやろーのせいか。
「……まあ、ほそぼそとやらせてもらってますよ」
 それとなく聞いたバーテンは居心地が悪そうに苦笑した。文句を言えばどこで聞かれてるかわからないからだろう。

「あぁ、ここに居ましたか。探しましたよ」
 くだらねー話をしていたところ、背後から声をかけられる。
「ヨシオの坊ちゃんかよ、俺は探してねーぞ」
「ヨシオの坊ちゃんって……」
 振り返ると赤いジャケットにジーパンを履いた見るからに人の好さそうな野郎がそこに立っていた。
「何、お客さんら。見ない顔だとは思ったけど変な名前もしてるんだな」
「違います、これは本名ではなくてあだ名ですよ。最近ここいらに来たのは事実ですが」
 ねえ、ワルオ君。と隣に腰かけてきた。
 ワルオ、というのは俺の事だ。今はこの場に居ない同行者が、俺らの事を一目見た時、良さそうだからヨシオ、悪そうだからワルオ、とあだ名をつけた。俺はかなりウケたが、ヨシオはあまり気に入ってなさそうだった。
 どうでもいい話だが、じゃあ自分はなんなんだと聞いたところ、フツオ? と答えていたのも、今思えばかなりおかしい。あんな普通がいるかっつーの。

「で、何の用だよ」
「君をここで放っておくの、よく考えたらまずい事が起きそうな気がしまして。僕が何とかしようかと」
「てめえ人の事をなんだと思ってんだよ」
 こいつ、吉祥寺で会ったときから態度変わってないか?
「んな心配されなくても酒飲んでるだけだわ……それによ、いざおっぱじまっても俺なら何とかなるっつーの」
 この一連の悪魔、災害の中で俺は以前よりももっと強い力を手に入れた。あの日吉祥寺で煮え湯を飲まされて以降、俺はそれだけを目指してここまでやってきたのだから。

「そうは言っても、僕らも彼の悪魔召喚プログラムに助けられたことも多いのですし、過信は良くないですよ」
 ……事実だ。強力な悪魔どもを従えさせる力は、人間3人を補って余りある。もし今の俺があいつと対峙した時、悪魔の力がない俺は負けるだろう。
 いや、負けたのか、俺は。
「足りねえよな……この腕っぷしだけじゃあ。こんなんじゃあよ」
 あの日の雪辱を晴らし、小澤を殺す事すらできない。
「……ワルオ君は十分強いですよ。それに、僕らもいるんですから」
「あめえよ、お前は……いや、お前たちのやり方は甘すぎる。どこまで行っても信用できるのは自分の身一つで、誰かに縋る余裕なんてねえんだ。
 そんなのは、こんな東京の有様を見ればわかんだろうが」
 グラスの中のアルコールを飲み干す。まだ酔いがまわるほど飲んでいなく、シラフに変わらないまま面倒な話をしている。その自覚はあった。
 互いに目を逸らしているだけで、いつか致命的に道を違えてもおかしくはない。俺たちは奇妙な関係性と時間を下敷きにしているだけで、その間が強固ではない事を知っているが、なし崩し的に寄り合っているだけだ。
 この先に俺たちは……俺たちは? なんだ?

 と、いつの間にかヨシオも手にグラスを握っていた。酒を飲む素振りなんて今まで見せてなかったが、一気に飲み干していた。
「かもしれませんね。もうここはかつての東京じゃないのだから、誰かを助けるにも挫くにも暴力が必要だ。それこそ、この街の支配者みたいなのには」
 おどけた表情をするのを見て、俺は僅かに驚いた。
 こいつはお人好しだが、別に頭が固いわけではないらしい。

「貴様っ! 何を話していた!」
 突如、バーの入り口を押しやり、怒鳴り声が飛んでくる。
 私設警官か!
 俺らは背後を向いていて反応が遅れるも、何とか振り返る。俺の方がヨシオより反応が速い。
 相手は一人、だが武装していて近づいて……掴みかかって来る!
 入り口からはヨシオの方が近い。掴まれる前にヨシオの体を引っ張り倒した。咄嗟の判断だ。
 そのヨシオは、俺が倒してすぐ受け身を取り……体勢を立て直して私設警官を殴り飛ばした!
「マジか!」
 思わず口から突いて出た。意外とやるもんだ。
「ははは、存外気持ちがいいかもしれません」
 吹っ飛んだ私設警官は壁に頭からぶつかり、気を失っていた。
 しかし、随分と派手な音を立てた。少し間を置いてどたどたと複数人の足音が聞こえてきて、一戦闘始まるかと目を見合わせる。入り口に私設警官たちが集まり……。

 ズゴォン!

 更に大きな音を立てて吹っ飛んでいった。そして少しすると、悪魔を連れたアイツが歩いてきていた。

「小澤の所に行こう。場所が分かった」

 思わず再びヨシオと目を合わせて、吹き出すように笑う。アイツもアイツで滅茶苦茶だ。
 ついさっきまでの酔いと話は勢いのままどこかへ吹っ飛び、適当に握った魔貨をカウンターに置き、その場から離れた。
 この高揚が、雰囲気の物なのか小澤の為なのか、俺にはどうでもよかった。


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