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冬の上海に立ちのぼる湯気

 先日、テレビの料理番組で「蒸し料理」を紹介していました。さつまいもを、それぞれ、電子レンジでチン。鍋で煮る。そして蒸篭(せいろ)で蒸す。すると、甘さ・触感・栄養のどれをとっても、蒸したさつまいもが一番美味しかったようです。

 蒸篭といえば、そこから立ちのぼる蒸気でしょう。そう、チャイナタウンに行けば、季節を問わずいつでも大きな蒸篭からシューシューと湯気が上がっていますよね。中国人の食に対する保守性、それは中国医学にもとづいた考えの確かさを示していると思います。

 今から数十年前、経済成長する前の上海の冬の話です。わたしは安宿を出て朝の路地を歩いていました。

 上海の冬はなぜか北方の北京とは違う寒さがあります。

 北方人と南方人という言い方があります。北方人は背が高くがっちりしているのに対して、南方人は背が低いです。そして北方人は政治的で南方人は経済的だと言われます。漢文化の享受という中国人カテゴリーより、地理環境による人の違いは交際する上で役に立つ、納得のいく説明でしょう。

 黄埔江という長江の支流に面した上海は湿度が高いので、湿気を含んだ冷気が骨身に沁み込むような寒さなのです。

 しかも北京よりも緯度は南なので当時は暖房設備が整っておらず、安宿の室内はとても寒かったのを覚えています。

 冬とはいえ上海の朝が早いのは、庶民はバスで移動するのが普通だったからです。その頃はタクシー、幹部や警察の車が多かったです。

 19世紀に西洋人によってつくられた租界の中心エリア、バンドとして知られる外灘には沢山のバス停がありました。その多くは有軌電車(トロリーバス)ですが、2両連結で車体をクネクネさせながら走っていました。それは芋虫の動きを連想させます。

 そして、それぞれが上海近郊の北・西・南方面へと向かいます。

 朝靄に煙る港沿いの、はるか向こうの方まで、湯気がシューシューと数筋立ち上っていた異郷の光景はとても魅惑的でした。

 そんな蒸篭の中の正体は具が入っていない饅頭(マントウ)です。上海近郊からの出稼ぎ労働者にとってはありがたいファーストフードだったのだと思います。素朴な味でほんのり甘かった。今の日本だと、ジューシーな肉まんしか売れないかも知れません。

 売り子はまるまるとして、やや小柄のおばさんが多かったです。ほとんどの人が紺の綿入れのモコモコの防寒服を着ていました(だからまるまるして見える)。

 おばさんといっても、実際の年齢は見た目より若いことが多いのですが、寒さで頬っぺたが真っ赤になっている顔を見るとなぜか可愛らしく感じました。

 冬の上海で思い出すのは、あの朝靄の中に立ちのぼる蒸篭の湯気とアツアツの饅頭。そして頬っぺたの赤いおばさん。

 素朴ということばしか、浮かばない。

 あれから数十年。そんな素朴さに再会する旅に出たくなってきた。

・・・

 冬の余談…
 冬の上海を小学生だった長男の手を取って歩いていた時、すれ違う人々からジロジロと見られました。しかも厳しい目つきで。その訳は長男の半ズボン姿でした。虐待してると思われたようです…。


 

 

 

 

 


 紺、 モスグリーンの人民服 

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