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カメ吉が死んだってよね(2)

ごめんよ、僕のせいだ。

モノ言わぬカメを見つめて、僕は激しい後悔と自責の念に襲われた。

もしかしたら助けられるかもしれない。カメを連れて急いで自宅へ戻ると。

「カメ 甲羅 割れ」と入力して、ネットを検索した。

内臓が飛び出していない場合は甲羅を固定して修復する。ベランダから墜落するカメは結構いるらしい。とにかく48時間が山場。自宅に遭った布ガムテープを甲羅に巻いて固定した。病院と違って、輸液もできないし、抗生剤を投与することもできない。ネットで調べたカメは6日後に水中生活を送ることができるようになったらしいが、うちのカメはどうだろうか。

もう自分にはできることは何もない。カメの生命力に賭けるのみ。こんな時は何も手につかない。食事ものどを通らない。何とか無事に生還してほしいと願いつつ、そわそわしながら見守っていたが、カメの動きはどんどん鈍くなっていく。

しばらくは首を出していたカメも、やがて首を引っ込めて、そのまま顔を出さなくなってしまった。

こんな別れになるとは思ってもみなかった。うっかり飼い始めたカメだけど、いつの間にかカメがいる生活が当たり前になっていた。カメが長生きだということは分かっていたし、一度迎え入れた以上は天寿を全うさせるのが務めだと思っていた。いつかカメが年を取り、ある朝動かなくなったカメを発見する。そんな別れを予想してた。

思えば人生は予想通りにいかないことが多い。カメとの別れもそうだ。予想通りにいかないと言えば、カメが死んでこれほど自分が動揺するとは思わなかった。カメが死んだって、淡々と花壇に埋めて終わり。そんなもんだと思っていた。

現実は違った。思いもよらない心の動きだ。2年半飼っていたネズミが死んだときもこれほどの動揺はなかった。あれは桂歌丸がなくなった日だ。2年半飼っていたネズミが死んだ。でも、そんなもんだと思った。残念な気はしたが、今回のようにうろたえることは無かった。もともとネズミの寿命は2年余。十分に生きた上での死だった。でもカメは違う。カメの寿命が20年だとすると、あと5年は生きていられたはずだ。これからも続くと思っていた日常が、ある日突然終わりを迎えた。それがショックだ。しかも責は自分にある。

日ごろからネコを飼いたいと思っていたが、カメを失ってこれほどのショックを受けてしまうような人間に、長生きする動物を飼う資格があるのだろうか?

わざわざ味わわなくてもいい悲しみを、自分から迎えに行くようなことをする必要はないんじゃないか?そんなことを考えるようになってしまった。

いま、我が家のペットはメダカのみ。こいつも、人に慣れている。おなかがすくと水面近くに上がってきて、口をパクパクさせながらおねだりする。

かわいい…

でも、いつか来るわ彼の時を思うと憂鬱だ。

当たり前の日常って、いとも簡単に終わりを迎えるんだなと改めて思い知らされた。

一日一日を感謝して生きていかないかんなぁ…

明日の朝、カメを花壇に埋めに行こう…

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