見出し画像

母、50代から新しい仕事を始めるってよ

母が10年以上務めていた縫製工場がコロナ禍の影響をじわりじわりと受け、ついに今年の春先に閉鎖した。

母がいくつだったか毎年忘れてしまい誕生日に毎年聞き直しているのだけれど、それでも毎回覚えていないので年齢不詳としておくが50代。
50代で母は職を失うことになった。50代で新しい仕事や職場にチャレンジしなければならないというのは想像以上に大変なことだと思う。

母からは、以前から仕事の忙しさ具合が目に見えて変わってきており、仕事がなくなる一方だったとよく聞いていた。そういうこともあり母自身覚悟が決まっていたようで、工場の閉鎖自体には特に大きなショックは受けていないようだった。1年は失業保険がもらえるのでゆっくり次の職を探す、とも言って気丈に振る舞うのがなんとも母らしい。

ここで私の自慢の母の話をしておこう。
私の母はとても真面目で、明るくポジティブで、人当たりが良い。家族のためにパートを何年も続け、私たち家族の家事育児のほぼすべてを担ってきた。お金はあまりなかったけれど、ありったけの愛を子供たち全員に注ぎ4年間大学に通わせてくれた。
ノートは何冊でも良いから使いなさい、参考書と問題集ならいくらでも買ってあげる、と勉強への応援やサポートは本当に手厚かった。どんな部活に入ってもユニフォームや遠征費も馬鹿にならないのに小学校から数えたら9年間部活動を続けさせてくれた。辞めたいといったらあなたがそれで後悔しないならいいよと最終的に続けさせる選択に導いたのもすごいなと思う。
私が末っ子だったのもあり、よく「私の集大成」だと言っていた。

娘からみた母親は、正直なところ子供がすべてに見えていた。大学へ進学し、地元を離れるのが少しだけ心配だった。

私の心配はよそに、より一層パートの仕事に取り組み、趣味でプチDIYを始めたり、土いじりやフラワーアレンジメントをしたり、新しいかつ自分が好きなことをどんどん始めていた。
時間や精神の余裕がなかっただけで、私の母はこんなに外の世界に興味がある人だったんだと驚くことになる。そんな母の姿にやっぱり私はこの人の娘なんだなと心底納得した。

そんな母が、新しい仕事を始めた。

なんの仕事を選ぶのか、どんな意思決定をするのか正直わからなかったのだけれど、嬉しそうに報告する母からは職を失ったときには感じられなかったエネルギーみたいなものを感じられた。私も同じくらい嬉しかった。

新しいことを始める時にナイーブになる人って多い。私の周りには結構居るイメージなんだけれど、私はその感覚がいまだに理解できなくて、新しいことを楽しめば良いのにと思ってしまう。それは母から受け継いだ遺伝子なんだなとこの一件を経て強く感じた。

50代、新たな挑戦を娘として心から応援してあげたい。
がんばれ、お母さん。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

記事を好きだな〜と思ってくれた方のスキとシェアが一番嬉しいです😭 読んでいただいたみなさまありがとうございます。 もしサポート費用がいただけたら、書籍もしくは35mmフィルムの購入に充てさせていただきます。これからも自分の写真と文章で更新していくので応援よろしくお願いします!