note.のモチベーション

そもそもnote.に書く理由っていうのが、何の為に?って考えたことがあったりもしたんですよ、まぁ考えすぎだっただけなんですけれども。前にアカウント作って、スタァライトとかアサルトリリィの感想を書いてた時に、2~3くらい、いいね?ハート?を貰えてたので。一応、誰かに、読まれて、いや、何かしらの何か、って程じゃないとは思ってはいるんだけれども。そもそも、こういう、表に出さない言葉って自分で誰にも見られない場所に書き込んでいたんですよ。パソコンにデフォルトで入ってるメモ帳のアプリとか。手書きでもやってたけど、意味の分からない文章の書かれた自分のメモ帳が、嵩張って置き場を失って人目に付くような事があったら本当に嫌なので。管理しやすいパソコンとかスマホで書く事がほとんどだった。さっき書いた迷星叫の感想みたいな。自分の為にやっていたことが、実は誰かの為になっているのだとしたら、その誰かの為にも優しくしたい、みたいな。みたいな理由は実はなくて。9割以上は普通に、自分のためなんですけれども。残りの1割は、ちゃんと相手のためですよ。読む人のため。ちょっと語弊があるけど。読む人のためというか、応援のためですね。まぁ、応援も自分の為に行っているので、自分の為が10割ですね。コロナ前はもう、ガールズ演劇に毎週、足を運んでいまして。で、コロナ禍になって、めっきり行かなくなりました。公演もなかったし。公演が無くても、配信がありますから。舞台の配信もありますけど、そうじゃなくて。キャストの人が行う、個人的な配信が。色んなプラットフォームから配信されるようになったんですよ。で、まぁ、私もそうだったんですけど、コロナで仕事がない。マジで全くない。キャストの人たちも、やれることが大幅になくなっている。マジでヤバい。ぶっちぎり。崖っぷち。そんな状態で配信しているんです。結構、キツかった。ちょっと人間性アレかもしれないですけど、私はコロナ禍になって仕事休みになってた時、「夏休みだ!」とか言ってダラダラしてました。満喫。引きこもり。それはみんな同じか?で、まぁ、配信を見てると、「みなさんの応援が、力になります!」、っていう雰囲気を感じるわけですよ。かつてないくらい感じる。もっと前から、「推しは推せるときに推せ」とか、「いいね、だけじゃなくて、リツイートが大事です!」、みたいな。そういうのをよく見てきたわけですよ。でも、コロナ禍の直後は、特にそれが顕著になってた。ファンの課金を煽る配信とかもあって、まぁ、それはまた別かもしれないけど。とにかく応援しないとマジでヤバいみたいな。圧があった。ストレスというか、プレッシャーというか。焦りがあった。だから、観てる側はマジで、今、応援しないと、支えないと、っていう思考に。これがね本当にキツかった。でもねちょっと見栄張ってスパチャみたいなの送ったりするんですよね。ツイッターなんかも補足されてたし、ファンとも顔見知りだったり。そういう繋がりを断ち切りたくないみたいな心理も結構、強く働いていたと思う。まぁ、断ち切りたくない、っていうよりも、白けさせたくないってい感じ。必死に頑張って盛り上がってるところに水を差すような感じがするのよね、「ギブです!応援無理!」とか言っちゃうと。言わなきゃいいじゃんって感じですけど、沈黙も同様ですから。当時はまだ、こんなになるって分かっていなかったので。またどこかで顔を合わせるんだろうなぁ、って思うとちょっといい顔してしまうといいますか。
 そんなこともあってやっぱ書いといたほうがいいかな、みたいな。のがちょっとあります。言いたいことあるけど言ってもしょうがないな、みたいなことはもう日記みたいなやつに書いてますけど、せっかくなんか、ポジティブっぽい気持ちになるものだったら、公開した方がいいのではないか、みたいな気持ちになってる。キャストの話は何だったんだ??あれだ。今はその時と違って、気楽に書けてるっていう話だった。反応が良い?インプレッションみたいな、そういうのを稼ぐためにやるってなると結構、というかかなり辛いと思うけど、そういうのじゃなくて、単純に、昨日見たアニメの感想を、翌日、友人と延々語り合ってたみたいな。そういうのがモチベーションになってる感じ。